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平成23・2011年12月4日 中日新聞社
乱歩彷徨[著者]紀田順一郎 開拓者としての矜持と苦悩
郷原宏
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■書 評
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[評者]郷原 宏 (文芸評論家)
■開拓者としての矜持と苦悩
これまでに書かれた江戸川乱歩論は本になったものだけでも三十冊を下らないが、その多くはいたずらにペダンチックなマニア向けの研究書か、さもなければ乱歩作品をダシにした都市論や風俗論といった類のもので、まともな作家論は意外に少なかった。
その点、本書は国産探偵小説の開拓者としての乱歩の苦悩と彷徨(ほうこう)を「なぜ読み継がれるのか」(副題)という観点から追究した、すぐれて文学的な作家論である。
本書のモチーフは「あとがき」の次の一節に尽くされている。
「いまや乱歩は、若い世代には二十面相、明智(あけち)小五郎、少年探偵団、一寸法師、黄金仮面、黒(くろ)蜥蜴(とかげ)、人間豹(ひょう)などのキャラクターの原案者として親しまれている。…つまり、現在通用している乱歩は乱歩そのものではなく、“記号としての乱歩”なのである」
しかし、乱歩自身は『探偵小説四十年』『わが夢と真実』など自伝的なエッセーのなかで、創造的な新文学としての初期短編とそれ以後の通俗的な長編や少年物を峻別(しゅんべつ)し、後者(つまり「記号」的な作品)に対して厳しすぎるほどの自己評価を下している。
従来の論者は、それを乱歩の潔癖な性格に帰すことが多かったが、紀田氏はそこに、自分のめざす本格的な作品が書けなくなったあとでも、なお開拓者としての評価を維持しようとした乱歩の苦心を見る。
乱歩が生涯を通じて探偵小説の「定義」にこだわりつづけたのはそのためであり、その「コード」に対する忠実さにこそ、乱歩が戦前戦後という価値観の異なる二つの時代を生き抜いた秘密があるという。
戦時下の少年時代に『怪人二十面相』を読んだというリアルな乱歩体験と豊かな書誌学的知識に裏打ちされたこの作家論には、乱歩を「記号」から解き放って生身の「人間」に変えるだけの熱量と説得力がある。
きだ・じゅんいちろう 1935年生まれ。評論家・作家。著書に『幕末明治傑物伝』『古本屋探偵の事件簿』『幻想と怪奇の時代』など。
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