どうしてこんなことになったのでしょうか、というところからのつづきですが、乱歩がそういう人だったから、というしかありません。謎の解明よりは秘密の発見に心を惹かれる人であった。たとえば肘掛椅子を見て、あ、このなかに人間が隠れている、と誰も気づかない秘密を発見してしまう人であった。ところが秘密の発見と謎の解明とはよく似ていますから、あるいは、提示された謎を解明して隠されていた秘密を発見するのが探偵小説の醍醐味であり一連のプロセスであるわけですから、というべきなのかもしれませんが、とにかく謎と秘密を混同してしまい、十数年がかりで練りあげた探偵小説の定義に謎ではなく秘密という言葉を使用する仕儀となってしまいました。
海外から輸入された探偵小説が日本という土壌で独自かつ多様な発達を遂げたとするならば、その換骨奪胎の過程で進められたのがたとえば謎を秘密と読み替えてしまう作業だったということになるでしょうか。乱歩の定義は日本において探偵小説が奇怪な亜種に進化し、いってみればガラパゴス化が進行したことを端的に物語る具体例なのかもしれません。このあたりのことはごくかいつまんで喋っただけでしたから、やはり会場のみなさんにはうまくお伝えできなかったものと思われます。
それから、これは講演していて気がついたことなのですが、『幻影城』の刊行は昭和26年、西暦でいえば1951年ですからちょうど六十年前ということになります。にもかかわらず乱歩の生前はもちろん歿後にも、論理や合理にもとづいて考えれば乱歩の定義は変であると表立って指摘する人はいなかったみたいですから、「理屈や筋で読むのが日本では少いのだ。本格ものは発展しないよ」という乱歩の言はそうした事実によっても裏づけられているのかもしれません。
そんなこんなで、正史は正しく、乱歩は乱れる、とのテーマにもとづいた講演は結構ぼろぼろになりながらもなんとか終了いたしました。いやはやもうさんざんな出来となり、もう一度勉強し直してまいりますと申しあげたい気分ではあったのですが、久しぶりにお目にかかれた人もあり、なかには乱歩関連資料をご教示くださった方もあって、たとえばこんなコピーを頂戴いたしました。
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明治42年4月18日に名古屋商業会議所が発行した『名古屋商工人名録』に掲載された平井商店の広告です。父親が明治40年ごろ設立した平井商店はこの年あたりには順風満帆だったはずですから、愛知県立第五中学の三年生だった乱歩は年末に「中央少年」の創刊号を発行するなど何不自由のないお坊ちゃん生活を送っていたものと思われます。それにしてもこんな資料はそんじょそこらに転がっているものではなく、たぶん乱歩だって所蔵していなかったはずですからコピーを頂戴できたのはまことにありがたいことではあったのですが、いつもいってることながら、こういう資料は名張市立図書館に集まってくるようになっているべきだと思われます。
名張市立図書館といえば、やはり講演会に足を運んでくださった方から、名張の図書館、ミステリの寄贈を受け付けてくれなくなっちゃったよね、とのお言葉をいただき、そんなこととはつゆ知らぬ私はおおいに驚いた次第でした。つまり名張市立図書館は関係各位から乱歩関連資料としてミステリ関係の図書なんかを寄贈していただいていたのですが、それがはいおしまいということになってしまったとのことです。そういえば先日、名張市立図書館にお客さんがあった日、久方ぶりで地下書庫に入ったところ蔵書がいっぱいいっぱいになっていたということはこのブログでもお知らせしたとおりですが、だからといって寄贈ノーサンキュとあっさり表明してしまうのはいかがなものか。ノーサンキュという結論に至るまでにいったいどれだけの知恵を絞り、どれだけの工夫を重ねたのか、みたいなことをいってみたってどうしようもないか。
お役所のみなさんに何をいってみたところでせんかたないか、とは思うもののやはり講演会においでいただいた方から、名張市のミステリ講演会はほんとになくなったのか、とのお尋ねをいただいたりもしましたので、依然として名張市役所の担当セクションに実際のところを確認しておりませんゆえ確たるご返事はできなかったのですが、それにしても名張市ってどうよ、とはつくづく思います。どうよ。ほんっとにどうよ。前にも書いたけど、なんかもう、正直、ぼろぼろじゃね?
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