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平成23・2011年11月25日 朝日新聞社
「割り算の文学」追求 土屋隆夫さんを悼む 有栖川有栖
有栖川有栖
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2011年11月25日10時45分
土屋隆夫さんがお亡くなりになった。享年94。日本推理小説界の最長老だった。
大学時代、推理小説研究会に所属していた私は、部内でこんなことを言い合ったのを思い出す。
「推理作家はバリバリ書かないと読者に忘れられる、なんて嘘(うそ)だ。何年ブランクが空いても、土屋隆夫を忘れることは考えられない。新作を待つのも楽しみのうちだ」と。
土屋さんは、1949年に短編「『罪ふかき死』の構図」が「宝石」誌のコンクールに入選してデビューして以来、郷里の長野県佐久市で中学教諭をしながら本格推理小説を書き続けた。最後の作品となった『人形が死んだ夜』は90歳の時の作品で、その作家人生は58年に及ぶ。しかし、兼業作家であり、高い質を追求したために寡作だった。
地方在住の作家が背負ったハンデは、今では想像しにくい。かつてご本人が「大阪だったらいざ知らず、地方で専業作家は無理だった」と笑いながら話すのを伺った。
ハンデといえば、土屋さんがデビューした後、社会派推理小説が席巻し、人工的な謎解きを盛った本格推理は退潮期に入るが、土屋さんは作風を曲げようとせず、信じた道を歩んだ。本格推理ファンには心強いかぎりだった。
根底に遊戯精神を持つ推理小説は文学たり得るか? 江戸川乱歩は至難だとした上で、遊びにすぎなかった俳諧を芸術に高めた芭蕉のような天才がいつか現れることを希望した。それを読んで推理作家を志した土屋さんの作風は、「トリッキーで、かつロマンティシズム漂う抒情(じょじょう)的な本格推理」と評される。
「私論・推理小説とはなにか」では、「推理小説は割り算の文学」であり、事件÷推理=解決で、剰余があってはならない、と唱えた。また、発案したトリックが実行可能かどうか実験して書くのを常としたが、身代金受け渡しの方法については実行できるから書くのをやめた、といった伝説的エピソードもある。
作者が永遠の眠りに就こうと、作品は私たちから去らない。『危険な童話』『影の告発』『針の誘い』といった傑作の数々は、これからも永(なが)く読み継がれていくことだろう。
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ありすがわ・ありす 1959年生まれ。本格ミステリ作家クラブ初代会長。土屋隆夫とともに鮎川哲也賞の選考委員を務めた。近刊に『真夜中の探偵』など。
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