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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by - 2024.11.25,Mon
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Posted by 中 相作 - 2011.11.09,Wed

 またおひとり、メールをくださったかたがあった。

 

 先日の放送事故がらみの一件からもわかるとおり、乱歩の生まれ故郷だから、という理由で名張に関心を抱いてくれているひとは、確実に存在している。

 

 だから、たまに上京したりすると、いろいろ尋ねられたりする。

 

 たとえば、二年前には、こんなぐあいだった。

 

 ▼名張まちなかブログ:横浜東京甲府旅日記(完)(2009年10月16日)

 

 「乱歩の生家を復元する話はどうなったんですか」

 

 「乱歩の生誕地碑には屋根くらいつけなきゃ」

 

 「ミステリー文庫はどうしたあッ」

 

 「乱歩に関係のある都市が集まってなにかやる、という話はどうなったんですか」

 

 「乱歩生誕地の広場は、みる価値ありますか」

 

 知らんがな、とは思うけど、もともと縁もゆかりもない土地である名張を、乱歩の生誕地だから、という理由で気にかけていただけるのは、まことにありがたいことである。

 

 横溝正史イベントのことをメールで教えてくださったかたも、むろんそのおひとりで、しかも、名張にはリピーターとしてなんども足を運んでいただいておる。

 

 ちなみにこのかたからは、くだんのメールのあと、本陣殺人事件の密室トリックを再現する企画の発案者、青山融さんの写真をメールで送っていただいた。

 

 べつにそこまでしていただかなくても、とは思うけれど、やはりありがたい話ではある。

 

 もっとも、乱歩のゆかりで名張に好印象をもってくださっていたみなさんも、いまとなっては、というか、ことここにいたっては、というか、とにかく昨今では、名張をながめる視線に苦笑や冷笑、蔑笑、憫笑がまじっている、ということになっているかもしれないね。

 

 しかたあるまい。

 

 笑われてしかるべき実態が、いまやすっかり露呈しているのじゃからな。

 

 でもって、またおひとり、メールをくださったかたがあった、という話なのであるが、メールの内容はというと、名張に行ったけれど乱歩の気配なんてどこにもなかった、とブログで広く世に喧伝されるような状態がこのままつづくのか、名張市はいったいどう考えているのか、名張のまちはこのままずーっと乱歩の気配のないままなのか、それから、「小春ちゃんの写真、またおねがいします」といったことであった。

 

 名張市がなにを考えているのか、むろんわしにはわからんのじゃが、たぶん、なーんにも考えておらんじゃろうな、と思う。

 

 いつもゆうとることやけど、考える、なんてことが、そもそもできないのである。

 

 思いつくことしかできない。

 

 こんなのは、いまにはじまったことではないじゃろう。

 

 以前からずーっとそうであった、と思う。

 

 要するに、なんにも変わってないわけよ。

 

 思いつきをぶちあげる、みたいなことしかできない。

 

 その思いつきの根はなにか、というと、これもしつこくおちょくりつづけてきたことだけど、ハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想なわけである。

 

 で、おんなじことのくり返し。

 

 ハコモノでは、思いつきの乱歩文学館。

 

 イベントでは、思いつきの乱歩イベント。

 

 どっちにしたって乱歩不在で、乱歩生誕地である名張のことを気にかけてくれてるひとたちから寄せられた期待を、ことごとく裏切ってしまう。

 

 そんなことばっか、名張市はやってきたのね。

 

 だから、これから先も、乱歩ファンの期待は裏切られつづけるしかないのではないか、とは思うんだけど、こんなひとごとみたいなこといってたら、またお叱りを頂戴してしまうか。

 

 というのも、ちょっと書きかけたまま放ったらかしになってるこの「テロになるまで待てない」という漫才にも記したことじゃが──

 

20110502a.jpg

 

 名張市におまえがついていながらなんであんなことになってしもたんや、みたいなお叱りを、以前はよくいただいたものであった。

 

 あんなこと、というのは、桝田医院第二病棟跡地があやしげな神社みたいなスポットになってしまったことだ。

 

 ありゃひどかったな、とまたしてもひとごとみたいなことをいうけど、しかしまあ、わしだって手をこまねいていたわけではない。

 

 てゆーか、めいっぱいのことはしたつもりだ。

 

 あれはもう、戦い、と呼んでしかるべき営為であったな。

 

 名張のまちと乱歩のための孤独な戦いに身を挺した次第ではあったが、ついに勝つことはできなかった。

 

 負けてしまった。

 

 なにに負けたのか。

 

 名張市政の宿痾、と呼んでしかるべきかと思われるんだけど、要するに癒着結託構造ね、それに負けた。

 

 そりゃ勝てんわな。

 

 なあ、名張市役所のみなさんや。

 

 わしゃびっくりしたぞ。

 

 名張市政があそこまで癒着結託でがんじがらめになっていたとは、夢にも思うておらんかったからな。

 

 ほんとにびっくりしたぞ。

 

 いやいや、ご心配なく。

 

 くさいものにはふたをすることにしておるから、名張市の癒着結託構造を暴き立てられるのではないか、などとよけいな心配はせんでもよろしいのじゃが、なにしろわしは、桝田医院第二病棟を名張市に寄贈するから乱歩に関連して活用してもらいたい、と桝田敏明先生のご遺族からお話をいただいて、それを名張市にとりついだ人間なのであり、しかもパブリックコメントまで提出して活用策を提案した人間であるというのに、名張市の当局はそうした人間のいうことにいっさい耳をかそうとせず、ただただ癒着結託相手にだけ顔を向けつづけたあげく、あんなあやしげな神社みたいな場所にしてしまいやがった、というのはまぎれもない事実だ。

 

 名張市が乱歩ファンの笑いものになるのは、いわば当然のことなのである。

 

 名張のまちに乱歩の気配を漂わせる千載一遇のチャンスであったというのに、なーにやってんだまったく、みたいな感じで、これはわしではなく全国の乱歩ファンのみなさんが、舌打ちしながら残念がってくれておるということじゃ。

 

 名張市は、チャンスをピンチに、変えるまち、みたいなキャッチコピーをつくって全国発信したらどうよ。

 

 ついでだから、もうひとついっとくと、パブリックコメントをはじめとして、わしは名張市になにくれとなくアドバイスをしておったのじゃが、結局のところ、市当局にはわしのゆうとることがようわからんかったのではないか、とも思い返される。

 

 むろん、難しいことをアドバイスしたわけではない。

 

 とてもわかりやすく、きわめて有益有用、魅力的なアイデアにあふれたアドバイスであった。

 

 そりゃもうな、そんじょそこらのコンサルタントなんて、足もとにも及ばんくらいのアドバイスであった。

 

 じゃというのに、わしのいうことには耳をかそうとせず、癒着結託相手にだけ顔を向けつづけ、水面下ではコンサルタントにぼったくられてた、というのじゃからなあ。

 

 いくらぼったくられてたのか。

 

 2011年7月16日:母さん、名張市民の三千十万七千七百円

 

 三千万ちょいだから、ま、安いといえば安いか。

 

 なにしろここ名張市にゃ、母さん、名張市民の八億六千万円、どうしたでせうね? なんて話もあったんだからな。

 

 2011年6月29日:市民不在、乱歩不在

 

 八億六千万円にくらべれば、三千万円ちょいのはした金なんて目じゃないよね。

 

 そんなことはともかく、わしはそこらのコンサルなんかよりはるかに優秀であって、それが証拠にコンサルによるパクリの被害にも遭うておる。

 

 いまはなき名張まちなか再生委員会の乱歩関係の会合で、たとえば乱歩生誕地碑広場に金木犀を植える、みたいなことをしてみたらどうよ、と発言したら、出席していたコンサルがそれをそのまま横取りしおって、いまでは乱歩生誕地碑の横に金木犀が植えられておる。

 

 いやいや、会合での提案がそのまま採用されただけの話じゃから、パクリと呼ぶのは酷なわけだが、要するに、わしのアイデアにはコンサルも迷わず飛びついてしまう、というわけじゃな。

 

 だというのに、わしのような優秀な人間を徹底的にガン無視して、癒着結託相手やコンサルタントとばかりつるんでおるから、あんなざまになったのじゃ。

 

 とはいえ、時計の針は逆戻りせんからなあ。

 

 いまからなにいったって、どうしようもないからなあ。

 

 名張市はもう、なんなんだこのまちは、と笑われつづけるしかないじゃろう。

 

 もっとも、乱歩生誕地碑広場が整備されている最中にも、なんなんだこのまちは、みたいなことはいわれとったな、と思いあたった。

 

 ご記憶かどうか、名張まちなかブログでもご紹介したが、こんなブログ記事である。

 

 ▼TOPPY.NET:乱歩の故郷で探偵気分?-江戸川乱歩生誕地碑広場(2009年1月14日)

 

 ま、さんざんじゃな。

 

 乱歩の気配がしない、どころの騒ぎではない。

 

 名張のまちは「町歩きがそれほど観光の目玉とはなり得ていない印象を受けます」とのことであ。

 

 じゃからわしは、乱歩の生家を復元して、それを拠点のひとつとしたまちなか散策の動線を確定しようね、とパブリックコメントで提案してやったのじゃが、名張市の当局は癒着結託相手とコンサルタントの話しか聞こうとせんかったからなあ。

 

 さらには、「それにしても、生誕地に到達するのは本当に大変でした。ひやわいも味がありますし、チェックポイントを設けて、まちなか探索を探偵をかけてみるとか、アイデア次第では面白いことになると思うんだけどな」とのことでもる。

 

 アイデア次第、というのであれば、これはパブリックコメントには書かなかったことであるが、迷路のような名張のまちの動線をくっきり浮かびあがらせるアイデアとして、曲がり角なんかの路面にBDバッジを埋めこんどく、みたいなことも考えておったのじゃがな。

 

 アイデアならほかにもまだいろいろあって、なんぼでも無償で名張市に提供するつもりでいたのだが、かんじんの市当局が聞く耳をもっておらなんだのだから、いくらこちらが身を挺しても、まったくの無駄骨というしかなかった。

 

 そんなことだから、思いつきと癒着結託を両輪とした市民不在の市政運営、とかいわれてしまうわけなんだけど、なーにいってやったって理解できんか。

 

 ともあれ、メールでお寄せいただいた質問に、回答はブログに記します、とお答えしておいたので、その回答を記すことにすると、名張のまちは今後もずーっと乱歩の気配がないままでしょう、ということになる。

 

 たとえば、こんなことなら、名張市にもある。

 

 ▼asahi.com:隠街道市 夜まで催し(2011年11月8日)

 

 乱歩ファンのみなさんからまた叱られてしまうかもしれんのだが、乱歩がらみではこんなことがあるらしい。

 

地元で生まれた推理作家江戸川乱歩の作品の朗読もある。

 

乱歩にちなみ「怪人二十面相」に扮した近大高専の学生たちの案内役も登場。

 

乱歩作品「白昼夢」の朗読は午後6時半~午後7時、新町の乱歩生誕地碑広場で。

 

 つまりまあ、乱歩はただの添えものであって、名張市には独立した乱歩イベントさえない、ということだ。

 

 ちなみに、倉敷市真備町の横溝正史イベントはこんなぐあい。

 

 ▼時事ドットコム:金田一耕助が大集合=岡山県倉敷市〔地域〕(2011年11月7日)

 

 こっちのほうは、横溝正史ないしは金田一耕助をテーマにした催しとして独立しており、添えものなんかではまったくない。

 

 つまり名張市には、こういった感じの独立した乱歩イベントを実現するだけの企画力も発想力もなくて、いや、いやいや、いやいやいやいや、いくらぼやいたってしかたないか。

 

 ま、結論としては、名張市になに期待したって裏切られるだけだぞ、ということになるじゃろう。

 

 わしをみてみろ。

 

 えらい目に遭わされたんじゃからな。

 

 いや、いやいや、いやいやいやいや、そんなことはどうでもいいとして、ほんと、そろそろ市長判断を仰がなくっちゃな。

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