11月3日を迎えた。
きょうがなんの日かというと、乱歩生誕地碑の建立記念日である。
むろん、だからといって、名張のまちにはなにもない。
10月21日、乱歩のお誕生日にも、なにもなかった。
それとおんなじことだ。
どうしてなにもしようとしないのか、ふしぎだ、とお思いになるかたも少なくないようだ。
名張市へ視察においでになった弘前市議会議員のかたの昨日付ブログ記事にも、そんなようなことが記されている。
▼今泉昌一の 私事時事:乱歩のふるさと(2011年11月2日)
引用。
ところで、名張市と言えば、江戸川乱歩の生まれ故郷なのだ。推理小説に興味のない方でも、乱歩の名前は知っているだろう。「怪人二十面相」や「少年探偵団」に胸を躍らせた記憶をお持ちの方も多いかもしれない。
僕の場合、推理小説への入門は、翻訳物であった。シャーロック・ホームズに導かれ、中学生から高校生の頃はエラリー・クインやヴァン・ダイン、クリスティーやカーなどを好んで読んでいた。
だから、乱歩との出会いは、大学生になってから。奥手なのである。でも、一旦出逢ってしまったあとは、徹底して読んだ。「二銭銅貨」や「D坂の殺人」など、初期の名作と言われるものは勿論、”通俗物”と呼ばれ一般的にはあまり評価が高くない後期のものも、僕にはとても面白かった。古今(当時)東西のトリックを分類・解説した「探偵小説の謎」という文庫本は、30年以上経った今も、僕の本棚の手に取りやすい場所に置かれている。乱歩は、偉大なる小説家であったと同時に、偉大なる推理小説研究家・評論家でもあったのだ。
ところが、名張のまちから、乱歩の気配は感じられなかった。聞けば、資料館や記念館の類も無いとのこと。記念碑はあるらしいが、いただいた観光パンフでも、その取り扱いはささやかなものだ。なんか拍子抜けしたような感じであった。どうせなら、名張市議会を訪れた記念に座らせてもらった議長の椅子は、中に人間が入ることができれば面白いのに、なんて下らないことも想像してしまった・・・。
「名張のまちから、乱歩の気配は感じられなかった」とのことである。
乱歩の気配どころか、住民の気配すら感じられないことだって、しょっちゅうある。
それが名張のまちだ。
なにしろ、こんな感じだ。
そんなことはともかく、この今泉昌一さんのケースのように、たまたま名張のまちを訪れて、「なんか拍子抜けしたような感じ」を抱いてしまった乱歩ファンは、もしかしたら少なからずいらっしゃるのであろうな、と思いあたった。
申しわけないような気がする。
むろん、乱歩文学館みたいなおおげさなハコモノをつくらなくとも、名張のまちに乱歩の気配めいたものを漂わせることはいくらでも可能であって、げんにわしは、みごとなまでの大失敗に終わった名張市のまちなか再生事業に際し、腰が抜けるほどおそまつだった名張まちなか再生プランにパブリックコメントを提出してじゃな、乱歩が生まれた名張のまちをどうこうするというのであれば、かけがえのない地域資源である乱歩にもう少し重点を置かなきゃ駄目じゃろうが、と具体的なアイデアを提供してやったのじゃが、名張市の当局はいっさい無視しおったのじゃ。
その後、名張まちなか再生委員会というのが結成されたものじゃから、だったら乱歩にかんして最低限の知識をもっといてもらわないとな、と考え、そのためのレクチャーの場を設けてくれるよう名張市の当局に申し入れたのじゃが、返ってきたのは、
──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない。
という回答であった。
しかもこれ、委員会の意向ではなくて、市当局の職員が独断で答えたものであった、ということがあとになって判明したのじゃが、ほんとに名張市って自治体は腐っとるよなあ。
根っから腐っとるぞ。
あんな腐れ自治体、とてもじゃないけどおーっとっと。
おーっとっと。
おーっとっとっと。
おっとととーの、おっとっと。
いかんいかん。
また忘れておった。
くさいものにはふたをする約束であった。
それに、いまからなにいったって、もう取り返しはつかないんだしな。
ところで、上に引いたブログ記事に、「聞けば、資料館や記念館の類も無いとのこと」というくだりがある。
乱歩の生まれたまちなんだから、資料館や記念館のたぐいは当然あっていいはずなのに、なぜかない、といったニュアンスが感じられるわけじゃが、まさに資料館、すなわちアーカイブじゃな、乱歩資料館をネット上に構築しようというのが名張市立図書館の幻影城プロジェクトなのであって、この今泉昌一さんのブログ記事に背中を押していただいたような気がする。
ほんと、いつまでも資料の死蔵をつづけとるわけにはいかんばい。
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