きのう、先日お知らせしましたとおり、FMなばりの「どみね」という番組に出演してまいりました。番組パーソナリティの野上峰さんからオファーをいただいたとき、とても時間が足りないなと思われましたので、無理をお願いして8日と29日の二回にわたる出演を許可していただいたのですが、一回あたりのトークの時間は三十分ほどですから、二回になっても時間はとても足りません。ですからきのうも放送冒頭で打ち明けましたとおり、FMなばりでレギュラーの座を獲得せにゃならんやろなと考えるに至りました。
それはそれとして、とにかく時間が足りません。なぜ足りないかというと、乱歩の家系と津藩の藩主だった藤堂家との関係をテーマにしたからで、となると四百年ほど前のことから始めなければなりません。そもそも名張市民だから乱歩作品に親しまなければならないなんてことはありませんし、いくら乱歩作品を推奨したところで読まない人はいつまでたってもお読みにゃならんでしょう。つまり名張市民が乱歩を知らなければならない理由なんてどこにもなく、私が名張市民のみなさんに乱歩作品をお読みくださいとお願いしなきゃなんない筋合いもまたどこにもないというわけなのですが、名張市民が名張の歴史を知る必要は少なからずあります。地域の歴史をろくに知りもせんみなさんが地域でなにかするとなると、とどのつまりはこんなことになってしまいます。
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そういえば先日、伊賀市のほうで、地域社会の歴史を知らない人間が市長に就任したせいでとんでもないことになってしまった、とぼやいている方がいらっしゃいましたが、それはほんとにそのとおり。地域社会の歴史の最先端に立っているという自覚や認識のない人間、つまりは歴史を知らない人間は歴史を無茶苦茶にしてしまいかねません。ですから私も名張市民のみなさんには乱歩の話よりも地域の歴史の話をお聴きいただくべきだと考えているわけで、乱歩がらみで地域の歴史を知っていただくには藤堂家との関係から話をスタートさせることが要求されたという寸法です。
そんなこんなで以下、ライブ配信も含め放送をお聴きいただけなかった方にはややわかりにくい話になりますが、きのうの補足説明を連ねることにして、乱歩の家、つまり平井家と藤堂家との関係は乱歩の「祖先発見記」で知ることができます。しかしきのうの放送はややひねりを加えた構成とし、「祖先発見記」を下敷きにした山田風太郎の短篇「伊賀の散歩者」をとりあげることにして、その冒頭を野上さんに朗読していただきました。
それからその流れで「祖先発見記」に出てくる伊豆伊東の東向寺というお寺に残されていた古文書に話を進めたのですが、ヒロインは古文書に登場する於光という女性。おこうともおみつとも読める名ですが、地元の名所案内ではおこうとひらがな表記されていますからそれに従っておこうということにして話を進めますと、熱海でたまたま見初めたおこうを側室にしたのが藤堂家の二代目、高次というお殿さまでした。
▼kotobank:藤堂高次
藤堂家には『宗国史』という藩史があります。
▼Yahoo!百科事典:宗国史
この『宗国史』に記録されたおこうの記事がこれです。
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嬖人は、へいじん、と読んで、新大字典によれば「気に入りの臣」または「寵愛を受ける女」の意味があります。大通公というのは高次のことで、高次とのあいだに生まれた大亨公というのが藤堂家四代の高睦です。
▼ウィキペディア:藤堂高睦
高次の子、高久が三代目を継いだのですが、高久には子がありませんでしたので弟の高睦が高久の養子になり、高久の死後、四代目の藩主になりました。つまり平井家の血を継いだお殿さまが誕生したのですが、高睦も跡継ぎに恵まれず養子を迎えましたから、平井家の血脈を引くお殿さまは高睦ひとりということになってしまいました。
藤堂家と平井家、ふたつの家系の年代記がテーマですから内容はかなりややこしく、リスナーのみなさんに理解していただけるかどうか心配だったのですが、野上さんが重要なポイントを巧みに確認しながらトークにつきあってくださいましたので、なんとかおわかりいただけたのではないかと思います。
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