サンデー先生じゃ。
またあしたじゃ、とかいいながら、結果的には、あさってじゃ、ということになってしまった。
なんかもう、やだ、という気がしないでもない。
それにしても、古畑拓三郎さんのコメントを拝読して、ちょいと考えてみたんだけど、ずいぶんふしぎな話だな、とお思いのかたも少なくないかもしれんな。
なにがふしぎか。
名張市立図書館は、どうして死蔵をつづけるのか。
どうしてなんにもしないのか。
そりゃまたずいぶんふしぎな話だよね、とおっしゃるかたもおありじゃろうと思う。
げんにこのわしも、最初はそう思った。
最初、というのは、名張市立図書館から、乱歩作品の読書会を開きたいから、その講師を担当してくんない? と依頼されたときのことである。
わしは速攻で断りつつも、内心、なんでなんにもしないんだろうな、といぶかった。
読書会なんてのは、まあ、どうでもいいことであって、いくらそんなことしたからといって、なにかをしたことにはならない。
うわっつらだけとりつくろって、適当にお茶を濁してるだけにすぎない。
そんなことじゃなくて、乱歩関連資料を収集している図書館として、せにゃならんことがあるじゃろう。
どうしてそれをせんのじゃろうな、というのが、わしの素朴な疑問じゃった。
もっとも、その時点では、図書館サイドにその疑問を伝えることはしなかった。
その後、あれこれとゆくたてがあって、毎度まいど記しているとおり、わしは名張市立図書館にぶちきれて、どうしておまえらは図書館本来の仕事をしようとせんのよ、と尋ねたところが、手前どもは乱歩にかんしてなにをしたらいいのかさっぱりわかりません、とのことであったから、そんなこんなでわしは図書館の嘱託を拝命し、おかげでえらい目に遭わされて、こんにちにいたった。
だからまあ、当時もいまも、名張市立図書館にはまったく変化はない、ということなのよね。
いまもあいかわらず、乱歩にかんしてなにをしたらいいのかさっぱりわかりません、という状態なの。
ふしぎだが、ほんとうだ。
乱歩関連資料を収集する、と思いついて、ただそれだけ。
収集の目的や方針を考えることもなく、まして、収集資料の活用を考えることなどおよびもつかない。
それがここ名張市あたりのレベルなんだから、たしかにふしぎなことではあり、信じられないことでもあるのだが、当然のことでもあり、しかたのないことでもある。
つまり、これである。
官民双方が知恵を出しあって、市民の血税をそそぎこんで、こんなあほな看板をつくる、などというのは、ふしぎであり、信じられないことであり、しかし、ここいらあたりじゃ当然のことであり、それはしかたのないことでもある、というのが正直なところなのよね。
しかし、この看板、いまでも大笑いできるようじゃ。
このエントリに画像を掲載したところ、いまでも「声を出して笑える」とのコメントを頂戴した。
▼2011年7月31日:3・11以降の認識
くさいものにはふたをする。と決意した身なれど、この名張エジプト化計画の看板は、くさいものとは呼べぬであろう。
くさいものどころか、むしろ、かぐわしい芳香を放っているようではないか。
うーむ。
いまから考えると、名張エジプト化計画関係各位におかれては、市民の血税でなかなかいいものをつくっていただいた、ということになるのかもしれない。
なにしろ、名張ってどんなとこ? と尋ねられとき、こんなとこです、といいながらこの写真を提示すれば、たちまちのうちに了解していただけるはずだからな。
つまり、こんなとこなんだから、こんなとこになにかを期待するなんてのは、無理、というか、酷、というか、気の毒、というか、まあそういったところなのである。
ふつうのことをする、というのが、このあたりではかなり困難なのである。
だから、名張市立図書館にたいして、収集した乱歩関連資料をちゃんと活用してもらえるのじゃろうな、などと期待するのは、無理な話であり、酷な話であり、図書館にとっては気の毒な話でもある。
ふしぎだ、とか、信じらんない、とか、そうお思いのかたもおありじゃろうが、それがまぎれもない事実なのである。
とはいえ、そんなうちわの事情なんて、世間のひとにはわからないから、どうして収集資料を死蔵しつづけるのだろう、どうしてなにもしないのだろう、という無言の疑問が、名張市立図書館に寄せられていると考えていいだろう。
換言すれば、乱歩にかんしてふつうにお仕事してください、という期待が、名張市立図書館に寄せられている、ということになる。
寄せられた期待を無にすることのないよう、サンデー先生の人生ぼやき講座、ちゃんと考えてちゃんと決める第二ステップ篇、先へ進もう。
乱歩作品のデータベース以外に、乱歩を対象とした作家論や作品論から、乱歩が登場する新聞や雑誌の記事にいたるまで、乱歩の自己収集を踏襲して収集を継続しながら、それをデータベースとして体系化することも必要だ。
なに、難しいことではない。
たとえば、横溝正史が乱歩についてどんな文章を記したのか、そのタイトルと初出誌紙などのデータが簡単に一覧できる、みたいなこととか、ほかにもいろいろリファレンスの便は考えねばならんが、とにかくまあ『乱歩文献データブック』をデータベースとして体系化してゆく、みたいなことになるだろう。
著作権が切れてる文献は全文を掲載することもできるわけだけど、それはあとまわし、ということでいいと思う。
ただし、青空文庫にあるたとえば夢野久作の「江戸川乱歩氏に対する私の感想」なんてのは、データベースにリンクを設定するだけで全文が読めることになるわけなんだけど、そんなこともまたあとまわし、いまから考えなくたっていいだろうね。
それから、乱歩の著書のデータベースも、当然のことながら、体系化しなくちゃならない。
結局、基本になるのは、名張市立図書館が発行した『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』という三冊の目録なわけ。
ほんと、そんなのは、ごくあたりまえのことなんだけどね。
あたりまえのことがあたりまえではなく、ふつうのことがふつうではない、というのが、ここ名張市なんだよね。
しかし、それにしても、あらためて、しみじみ思うけど、ふしぎな話なんだよね実際。
乱歩関連資料を集めてまーす、というのだったら、自然な流れとして目録をつくるのがあたりまえなんだけど、そんなことまったく思いつきもせず、だからわしが心血をそそいだ滅私奉公、死ぬかと思いつつ目録三冊をつくりあげ、つぎのステップはどうよ、といったことを考えた場合、きょうびのことだからやはり自然な流れとして、インターネットを利用して乱歩のデータベースを提供することを提案したのじゃが、もちろん、そんなのはごくふつうにできてなきゃおかしいことなんだけど、全然できなかったのじゃから、ほんと、名張ってふしぎなとこだよね、と思ってしまう。
ま、これだもんな。
ははは。
力なく笑ってお別れいたす。
Powered by "Samurai Factory"