ばんッ。
これはなんの音か。
くさいものにふたをした音だ。
ふたくらい、なんぼでもしちゃるけ。
ばんッ。
ばんッ。
ばんッ。
さて、くさいものにふたをして、前向きになったぞ。
PTAだかPTSDだか知らんけど、いつまでうじうじしてたってしゃーないからな。
あしたから9月だしな。
じわじわ前向きにならなきゃな。
ばんッ。
ばんッ。
ばんッ。
どうよどうよ。
景気のいい音をたてて、ふたがどんどんしまっていくがや。
さてそれで、前向きになった、ということにして、いったいなにをするのか。
決定権のことは横において、というのはつまり、不肖サンデーには決定権がいっさいなく、決定すべき立場にある名張市立図書館には、遺憾ながらまた残念ながら、決定する能力もなければ決定するための知識もなく、そもそもやる気もありゃしない、ということは横においといて、ということなのだが、名張市立図書館が乱歩にかんしてなにをなすべきなのか、明らかにしてゆきたい。
といったって、話はじつに簡単である。
まずしなければならないのは、そして、しなければならないのに名張市立図書館にまったくできていないのは、ちゃんと考えて、ちゃんと決める、ということだ。
でもって、ちゃんと考える、ということは、これまでに、サンデー先生の平熱教室で、じっくりきっちり進めてきた。
だから、きょうからは、心機一転、8月26日付エントリの人生幸朗師匠に敬意を表し、サンデー先生の人生ぼやき講座、という新シリーズに突入して、ちゃんと決める、というステップを勇往邁進することとしたい。
しかし、いくらふたをしたからといって、名張市立図書館の悲惨な現状には、ふたはできない。
なんとかまともな図書館になって、乱歩のことをちゃんとやってもらいたい、というのが不肖サンデーの悲願なんだから、そのためにはまず、名張市立図書館の悲惨な現状を直視することが必要だ。
これだ。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
ああ、いかんいかん。
ほんとにいかんぞ。
なんかもうね、いくら前向きになろうと思っても、こーゆーのをまのあたりにしてしまうと、前もうしろも横もなく、ひたすら脱力して膝からくずおれてしまう、というのが正直なところなのよね。
なんとかしてくれ。
とかいったって、だれもなんともしてくれないから、なんとかしたいと思ったら、自分でなんとかするしかない。
やれやれ。
困ったもんだ。
とにかく、名張市立図書館の悲惨な現状についてであるが、乱歩関連資料を活用するための具体的な方針は、ない、とのことである。
厳密にいえば、「現在のところございませんが」とのことであって、もしかしたら将来、方針が定められるのではないか、という含みを残す表現になっているけれど、むろんこんなのは、お役所名物の逃げにほかならない。
ただの先送りである。
十年たっても、二十年たっても、名張市立図書館はなにも考えようとせず、なにも決めようとしない。
というより、なにも考えられず、なにも決められない、というべきか。
そんなことができるのであれば、名張市立図書館がオープンした時点で、ちゃんと考えて、ちゃんと決める、ということがなされていたはずである。
ずーっとなにもしないままでいて、なーにが、現在のところございませんが、だ。
永遠にございません、と正直にいってみろ。
しかし、心配は無用だ。
名張市立図書館がいくら悲惨な状態にあっても、名張市には不肖サンデーがいるではないか。
なんの決定権もないけれど、サンデー先生の平熱教室でじっくりきっちり、ちゃんと考えたことにもとづいて、ちゃんと決める、という作業を進めることにする。
大船に乗った気でいてくれたまえ。
では、行ってみよう。
なにを決めればいいのか。
本来であれば、名張市立図書館が乱歩関連資料の収集を継続すべきかどうか、それを考えなければならないところなんだけど、平熱教室で熱く語ったとおりであって、継続すべきだ、というのが不肖サンデーの結論だ。
むろんこれは、名張市立図書館の意向でもある。
ただ、名張市立図書館には、資料収集というのがどんなことなんだか、それがまったくわかっておらんし、乱歩という作家のことを知ろうとしたり、乱歩が書いた作品を読もうとしたり、そういうことをいっさいせんから、なにもできんのである。
できるはずがないのである。
なんなんだまったく。
どついたろかばかもん。
出た。
出た出た。
人生幸朗師匠直伝、どついたろかばかもん、がついに出た。
この調子で行こう。
この調子で前向きに行こう。
では、乱歩関連資料の収集を継続する、ということを前提的な決定事項として、そのつぎになにを決めなければならないか。
まず押さえておかなければならないのは、乱歩関連資料を収集する目的はなにか、ということだ。
目的もなければ活用の方針もなく、そもそもなにを収集すればいいのかが全然わかりません、なんて現状では、ほんとにまずいぞ。
まずすぎるぞ。
ここ名張市において、いわゆる事業仕分けみたいなことがおこなわれ、もしも名張市立図書館による乱歩関連資料の収集事業がその対象になったとしたら、現在ただいまの状態では、あっさり仕分けされてそれでおしまい、ということになるのは眼にみえている。
そんなことではまずいぞ。
しっかりしよう。
しっかりしような、名張市役所のみなさんや。
みなさんは近年、ふたことめには地域資源だの全国発信だの、そんなことばを口にするわけだけど、地域資源として全国発信できる素材となれば、名張市においては乱歩がぶっちぎりのいちばんなのである。
ところが、どうよ。
実際には、全国に通用する乱歩という得がたい素材を、ちまちましたご町内感覚でめいっぱい矮小化してしまい、関係者の小つまらぬ自己顕示欲を満足させるだけに終始している。
それが実態ではないか。
名張市立図書館だってそうである。
なにも考えないことにしております、とか、できるだけ働かないようにしております、とか、そういった勝手な都合で乱歩関連資料の収集という事業を矮小化してしまい、有名無実なものにしてしまっておるではないか。
乱歩関連資料を専門的に収集しております、というのであれば、それを活用することこそ、全国発信のまたとない実践なのである。
だというのに、どうして隠蔽するんだろうな。
ふつうであれば、たとえば、最近閲覧したサイトを例にとることにして、えーっと、もうじき企画展「黒岩比佐子追悼展」が開幕する小樽文学館の公式サイトにこんなページがある。
▼小樽文学館:常設展示
文学館と図書館とを同列に論じることには無理があるけれど、どちらも資料の収集ということが主要な業務のひとつであることには変わりがないんだから、あえて同列に論じることにする。
小樽文学館公式サイトのこのページには、いったいなんと書いてあるか。
まず最初に、「文学館では、収蔵された資料の保管に万全を期すとともに、将来にわたっての文化の糧とすべく十分に活用されるように努めています」との表明があり、最後には、「小樽文学館では、よりいっそう内容の充実を図るため資料収集に努めています。上記の作家、およびそのほか小樽に関連のある文学資料全般についての情報などご提供いただけましたら幸いです」との呼びかけがある。
ふつうであれば、これくらいのことはするじゃろう。
名張市立図書館だって、乱歩関連資料にかんする表明と呼びかけを公式サイトに掲載する、くらいのことはとっくの昔にできておらなければおかしい。
どうしてせんのじゃろうな。
やっぱ、名張市役所名物、隠蔽体質のしからしむるところか。
やっぱ、くさいものにはふたをする、ということか。
くさいものにふたをするのがそれほど面白いのか。
いや。
いやいや。
みずから進んでくさいものにふたをしている人間が、こんなことゆうとってはいかんではないか。
ふたをしようふたをしよう。
くさいものにはおおいにふたをしよう。
それで万事OKなのさ。
しかし、乱歩関連資料の収集は、けっしてくさいものではない。
全国に発信すべき素材なのである。
それをどうしてくさいもの扱いするのか。
なに考えて生きとんねん。
わけのわからんことゆうとったら銃殺にするぞ。
よーし。
サンデー先生の人生ぼやき講座、なかなか快調な滑り出しではないか。
さてそれで、乱歩関連資料を収集する目的であるが、これもまた平熱教室でちょいと考えてみたことをそのまま採用し、乱歩の文業の全容を明らかにして後世に継承する、とか、乱歩が時代にどう受容されたかを記録してゆく、とか、そういったあたりでちゃっちゃと決めてしまう。
収集方針なんてのも、やはり平熱教室で考えたとおり、乱歩の自己収集を継承する、ということが基本になる。
むろん、乱歩の自己収集のことをまったく知らない人間が、乱歩の自己収集を継承いたします、などと表明してしまうのは大うそでしかないのだが、不肖サンデーがそれを口にすることにはまったく問題はない。
かつて名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託を拝命し、ちゃんとお仕事をしないと天国の乱歩にも地上の名張市民にも申しわけないな、と死ぬ気になって乱歩のことをお勉強した身なのである。
大船に乗った気でいてくれたまえ。
それでまあ、収集の方針ったって、書籍であれ、雑誌であれ、その他もろもろであれ、乱歩の文業を明らかにして受容をあとづけることが目的なんだから、もうどんどん集めればいいのである。
だから、乱歩の著書はすべて収集対象である、ということになるんだけど、だからといって、ただちにすべてを揃えなければならない、ということはまったくない。
収集対象ではあるが、予算がないから購入できない、ということがあっても全然OKだ。
たとえば、旧乱歩邸にほど近い八勝堂書店という古本屋さんのサイトをみてみると、「当店の特選品」にたまたま乱歩の著書が並んでいる。
▼八勝堂書店:Home
どうよこれ。
博文館の『吸血鬼』が再版で二十万円、新潮社の『黒蜥蜴・妖蟲』初版が四十五万円、とのことである。
どちらも収集対象ではあるが、ただちに購入する必要はない。
予算によほど余裕があるのなら、一冊四十五万円の古書を購入したっていいけれど、そうじゃないのなら買わなくたってOKである。
だいじなのは、収集対象を明確にしておく、ということだ。
ついでにいっとけば、収集対象を明確にして、しかもなおかつ、それを広く訴えること、つまり、小樽文学館みたいに、これこれこういう資料を収集しておりますので、関連する情報その他、どうぞお寄せください、と広く訴えること、それもまただいじなことだ。
以上、乱歩関連資料を収集する、ということにかんして、その目的と、目的を達成するための収集方針とを、ごくおおざっぱにまとめてみた。
これすなわち、きょうの決定事項ということにする。
むろん、不肖サンデーが決定したところで、なんの意味もない。
決定すべきなのは、名張市立図書館である。
しかし、名張市立図書館には、なにも決定できない。
なにしろ、『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』の区別がつかず、『江戸川乱歩著書目録』の増補なんて思いもおよばない、というのが名張市立図書館のレベルなのである。
だから、なんにも決定できない。
というか、決定なんかさせるなよ。
愚者にはなにも決めさせるな、ということだ。
でもって、最終的には不肖サンデー、乱歩関連資料の収集と活用にかんする決定事項については、市長判断を仰ぐつもりである。
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