きのうのエントリに関してメールでお尋ねをいただきましたので、ついでですからブログでお答えしておきます。お尋ねは旧乱歩邸の土蔵は幻影城なのかというものでした。きのうのエントリには「なんというのか、ま、幻影城という呼称もすっかり定着した感じです」と記したのですが、旧乱歩邸の土蔵が幻影城と呼ばれることが増えているのはたしかで、メディアの報道でもよく眼にします。ですからあの土蔵が幻影城と呼ばれているのは事実であるというしかないのですが、問題はいったい誰が呼んでいるのかということで、最近の例でいいますと、たとえばこういう記事がありました。
▼MSN産経ニュース:東京・池袋 江戸川乱歩「怪人二十面相」 世情伝える作品を生み出した邸宅(2011年5月8日)
この記事は間違いです。どこが間違っているのかというと、ここ。
昭和40年、71歳で亡くなるまで31年間、数々の作品を生み出した洋館は毎週金曜に公開、乱歩が「幻影城」と呼んだ土蔵は特別公開される。
乱歩があの土蔵を幻影城と呼んだという事実は確認されていません。むろんそんなことを書き残してもいません。以前からくり返し申しあげているとおり、じぶんちの庭に幻影城があるなどと乱歩がいうはずはありません。渡り廊下を歩いたらすぐそこに建ってる土蔵がどうして幻影の城なのか。少し考えればすぐわかることです。ただしファン心理としては乱歩の土蔵は幻影の城のようなものであり、そうした心理が投影された呼称としてなら幻影城もありだなと、つまりあの土蔵が幻影城と呼ばれていないとはいえないと、すなわちあの土蔵が幻影城と呼ばれているというのは事実だというしかないと、そういうことになります。なんかややこしい話ですけど、乱歩があの土蔵を幻影城と呼んだことはない、ということだけをきっちり押さえておいていただければと思います。
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