とにかく、ほんと、なんだかなあ、という話なのである。
その話が、いつまでも、ぐずぐずしている。
こうなると、もう、トラウマだな。
公務員のみなさんにいいだけ足をひっぱられた経験が、不肖サンデーの心に癒えることのない深い傷を残し、名張市立図書館のことを考えはじめると、その傷がずきずきうずいて心が尋常ではない状態を呈してくる。
ぐずぐずちんたらしているのは、そうした状態を回避すべく心的機制が働いている、ということなのかもしれんな。
しかし、先へ進まないことには、おはなしにならない。
とっとと進もう。
名張市立図書館には、なにかを考える、ということができない。
乱歩にかんしてなにをしたらいいのか、それを考えることができない。
ありえないような話だが、それが事実だということは、このブログを継続してお読みくださってるみなさんには、よくおわかりのことであろう。
でもって、名張市立図書館がそんなていたらくであるとしても、というか、げんにそうなんだけど、不肖サンデーにはいくらでも考えることができる。
というか、考えられないってのは、ずいぶんおかしな話だ。
だれにだって、容易に考えられるはずである。
図書館というのは、なにをするところなのか。
まずそれを考え、そのあと、乱歩というのがどういう作家であったのか、それを知りさえすれば、名張市立図書館が乱歩にかんしてなにをすればいいのか、なんてことはいくらだって考えることができる。
しかし、名張市立図書館は、それをしようとしない。
なにも考えない。
できるだけ働かない。
それが、名張市立図書館の、さらには名張市役所の、てゆーかおそらくは日本全国津々浦々、どこの土地にも共通したお役所のみなさんの実態だからである。
だから、不肖サンデー、そんなことはもう、どうだっていい。
お役所のみなさんというのは、そもそもそういうものであると、そういう種族なのであると、いまやすっかり達観しておる。
名張市役所にはこんな不文律が存在する、と思ってあきらめている。
──ナンピトモ名張市役所ガ無能ト怠慢ノ楽園タルヲ妨グベカラズ。
だからまあ、どうだってかまわない。
なにも考えなくても結構だ。
できるだけ働かなくても結構だ。
そんなことは、もう、どうだってかまわない。
というか、世間からは、役所のあほ、の名で公然と役立たず呼ばわりされているお役所のみなさんのことを、不肖サンデー、ただのいちども、一瞬たりとも、信用したことなどないのである。
信用できるわけねーじゃねーか。
名張市立図書館だって同様である。
アドバイスがどうのこうの、そんなことでなんとかなるレベルにはない、ということが、あらためてはっきりした。
だからこそ、名張市立図書館に乱歩にかんしてちゃんとしたことやってもらおうと思ったら、不肖サンデーがすべてやんなきゃいけない、ということである、とゆうとるわけである。
しかし、そんなことが可能か。
名張市立図書館にはなにも考えられないから、かわりにこっちが考えてやる。
それは可能だ。
考えた結果を名張市立図書館に伝える、ということも可能だ。
そのあと、どうなるか。
こちらが考え、伝えたことが、名張市立図書館に理解できるか、となると、それが難しい。
たぶん、十全には理解できぬであろう。
だとすると、困ったことになる。
なぜか。
こちらには決定権がないからである。
重要なのは、いつもいってるとおり、ちゃんと考えて、ちゃんと決める、ということである。
しかし、これまたいつもいうとおり、ここ名張市においては、そういったプロセスが完全に等閑視されておる。
ちゃんと考えず、ちゃんと決めない。
それが名張市である。
思いつきはあるが、考えはない。
それが名張市である。
早い話、名張市立図書館における乱歩関連資料の収集だって、単なる思いつきの産物であった。
その思いつきに、あとから深い考えを付与するのは、できない相談ではない。
いくらあとづけであっても、資料収集の目的を考え、具体的な方針を考え、収集した資料の活用策を考えるのは、いくらでも可能である。
この平熱教室で考えてきたとおりである。
しかし、不肖サンデーには、決めることはできない。
たとえば、不肖サンデーには、名張市立図書館が乱歩の自己収集を継承すべきである、と考えることはできるし、それをアドバイザーの意見として伝えることもできる。
ところが、伝えられた名張市立図書館には、乱歩の自己収集というのがどういうものなのか、理解できない。
乱歩の自伝を読み、エッセイを読み、『貼雑年譜』のページを繰れば簡単に理解できることが、理解できない。
あるいは、理解しようとしない。
だから、こちらの伝えた意見を採用するか、あるいはリジェクトするか、その判断がつかない。
理解できないことに判断をくだす、なんてことは不可能である。
実際には、理解できないことに判断をくだす、なんてのはお役所でごくふつうにおこなわれていることであって、しかしそんなのはいうまでもなくきわめて無責任な行為であるのだが、お役所の辞書に責任ということばはありゃせんから、ノープロブレムではあるだろう。
とはいえ、お役所的にはノープロブレムであるとしても、名張市立図書館が乱歩の自己収集を継承する、などと宣言してしまったら、それは大うそということになってしまうわけな。
大うそついちゃいかんじゃろうが、というのが世間一般の常識とかいうやつではあるのじゃが、しかしながら幸か不幸か、名張市政において大うそやインチキはごくありふれたものである。
なあ、名張市役所のみなさんや。
あんたら平気でうそをつくもんな。
平気で市民をだまくらかすもんな。
だから、名張市立図書館の大うそ、インチキ、だまくらかし、みたいなものにいちいち驚いてもおられんわけやが、しかしなあ、名張市政が無茶苦茶なのはもうしかたがないとしても、名張市立図書館だけにはちゃんとしてほしい、乱歩のことをちゃんとしてほしい、っつーのが不肖サンデーのささやかな願いなわけなのな。
その願いが、大うそやインチキやだまくらかしといった名張市政名物に汚されてしまうのは、できれば避けたいと思うわけ。
しかし、そんなことゆうとったら、なにもできんからな。
早い話、名張市立図書館が、手前どもは乱歩関連資料を収集しております、っつーのがすでにして詐欺みたいなことなんだからよ、どっかで妥協して、お役所の大うそ、インチキ、だまくらかしと折りあわないことには、なーんにもできんということになる。
で、折りあったとしよう。
そのあとはどうなる。
いやー、トラウマだトラウマだ。
トラウマだったらトラウマだ。
そのあとはどうなる、みたいなことを考えはじめたとたん、名張市立図書館嘱託として腐れ公務員のみなさんからひどい目に遭わされたときの深い傷が、いままたずきずきとうずきだしてきたではないか。
ずきずき、ずきずき。
いかんいかん。
つづきはまたあした、ということにする。
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