ほんと、なんだかなあ、という話なのである。
なにが、なんだかなあ、なのかというと、名張市立図書館がオンリーワンのかけがえのない図書館として、身のたけや身のほどというやつの範囲内において、やるべきことをこつこつまじめにちゃんとやるとなると、結局は不肖サンデーがすべてやんなきゃならなくなってくるわけなのであって、それはほんとになんだかなあ、ということなのである。
とにかく、ちゃんと考えて、ちゃんと決める、ということを、名張市立図書館は全然してこなかった。
ただし、手遅れというわけではない。
いまからはじめることはいくらだって可能である。
もういちど、リスタートすればいいのである。
とはいえ、名張市立図書館が乱歩という作家を特別なコンテンツとして扱うべきかどうか、あるいは、名張市立図書館は乱歩関連資料を収集すべきかどうか、みたいなところまでさかのぼってリスタートする、というつもりはない。
本来であれば、名張市立図書館の開設が準備される段階で、そうしたことがちゃんと考えられ、ちゃんと決められているべきだったのであり、リスタートというならそこまでさかのぼって白紙の状態からはじめるべきだ、という意見も当然あるはずだし、それを否定する気はさらさらないのであるけれど、なんつったって名張市立図書館は、四十年以上にわたって乱歩関連資料を収集してきたという歴史ないしは業績を背負っているわけではあるのだから、おとといも記したようなことをあれこれ考えたあげくの結論として、名張市立図書館は乱歩関連資料の収集をつづける、ということを前提として話を進める。
で、どうするのか。
まずなすべきは、目的を明確にすることである。
どういった目的のもとに、乱歩関連資料を収集するのか。
それをちゃんと考えて、ちゃんと決めなければならない。
なにしろ、このご時世である。
目的も明確に示せないような事業に税金つかってんじゃねーよ、という市民の声が寄せられてもふしぎではない。
寄せられなくたって、目的がよくわからない、なんてのはあってはならんことである。
むろん、難しいことではまったくない。
この平熱教室でしつこく述べてきたとおり、図書館というのはそもそもなにをするところか、みたいなところからきっちりと考えを積みあげてゆけば、答えはおのずからみえてくるはずだ。
しかし、名張市立図書館には、それができない。
ちゃんと考えて、ちゃんと決める、ということができない。
これはなにも、名張市立図書館にかぎった話ではくて、名張市役所のみなさん全員のレベルがそうである、ということである。
難しいことではまったくないのに、それができない。
しかし、というか、だからこそ、というか、とにかくこの平熱教室では、そんなみなさんになりかわり、なにをどう考えればいいのか、みたいなことをじっくり考えてきた。
目的についても、たとえば、乱歩の文業の全容を明らかにし、正しく後世に継承する、とか、あるいは、乱歩が時代にどう受容されたかを記録してゆく、とか、そういったあたりでどうよ、ということにしてみた。
そうした目的がちゃんと掲げられていれば、それでOKなのである。
目的がはっきりしたら、そのあとは、目的を達成するためになにをすればいいのか、それを考える。
具体的には、資料収集の方針、収集対象の定義、そういったことを考えてゆく。
その場合、これもこの平熱教室でくり返し指摘してきたことだが、乱歩の自己収集を参考にする必要がある。
そういえば、先日、谷崎潤一郎をしのぶ残月祭の講演で、有栖川有栖さんが乱歩の自己収集に言及していらっしゃった。
このブログで読める。
▼ラピスへのひとりごと:【妖しの世界への誘い】レポ2(2011年7月26日)
引用しとこう。
次に有栖川先生にお鉢が回って、作家と家族・私生活の影響について?
有栖川先生「告白するには重すぎます(会場どっと)、他の作家のことは分からないし、言ったら舌禍事件になりますし…。
乱歩に関しては、「蔵の中で書いた」とか「蝋燭の灯で書いた」という伝説がありますが。
さっきも平井さんが仰ったように乱歩には整理癖があって、自分マニアでした(会場笑)自分に関する記事を片っ端からスクラップしてまして、それが『貼雑年譜』になりますが、たとえば「京都の舞妓さんが“好きなものはお饅頭と乱歩”と言った」という記事を見つけたらそれも取ってある。私もしたくなりますね(笑)
この整理癖のおかげで探偵小説界の動向や雑談まで残ってて、これが後々大きな意味を持つんですよ。後の作家やファンにとってそれにどれだけ恩恵を受けたか、幸せなことか」
有栖川さん、たしかに恩恵ということばをおつかいであった。
乱歩の自己収集が後世に大きな恩恵をもたらした、というわけである。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するのであれば、後世に大きな恩恵をもたらした乱歩の自己収集というやつを、まったく無視してしまうわけにはいかんであろう。
というか、この平熱教室では、乱歩の自己収集を継承するのがいいんじゃね? と力説しておいた。
さて、そのあとはいよいよ、収集資料をどう体系化し、どう活用するか、という段階を迎えることになる。
むろん、ちゃんと考えて、ちゃんと決めれば、それでいいのである。
しかし、ここで、なんだかなあ、ということになってしまうのである。
主体性の問題が立ちはだかってくるのである。
いま記したのは、いうまでもなく、不肖サンデー個人の考えである。
しかし、ちゃんと考えるべきなのは、いうまでもなく名張市立図書館なのである。
名張市立図書館がちゃんと考えて、ちゃんと決めるべきことなのである。
不肖サンデーには、権限などなにもない。
名張市乱歩関連事業アドバイザーとして、渾身のアドバイスをくりひろげても、考えるのはむこうであり、決めるのもむこうである。
しかし、むこうには、そんなことはとてもできない。
開館以来、乱歩関連資料の収集をつづけております、とかいいながら、乱歩生誕百年を控えて、さあ、乱歩の読書会を開こう、と思いつくことしかできない図書館である。
移転新築に際して館内に乱歩コーナーを開設しておきながら、さあ、特別あつらえの陳列ケースに乱歩賞受賞作品を展示しよう、と思いつくことしかできない図書館である。
なにしろ、『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』を両手に携え、
「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
などと尋ねてくるようなすっとこどっこいでも余裕で副館長を務められるのが、名張市立図書館というところなのである。
文業の全容を明らかにする、とか、時代にどう受容されたかを記録する、とか、そんなこといわれたってなにがなにやらようわからん、というのが名張市立図書館のレベルなのである。
とにかくな、名張ってのは、こんなとこなの。
やってらんねーよばーか、といいたくなるのを我慢して記すと、名張市立図書館に乱歩にかんしてちゃんとしたことやってもらおうと思ったら、不肖サンデーがすべてやんなきゃいけない、ということであって、しかし、そういうのって、ほんと、なんだかなあ。
Powered by "Samurai Factory"