心境の変化、というやつであろうか。
感情の水位が上昇した、とでも表現すればいいのか。
名張市役所のみなさんはいかがであろう。
なんの話か。
きのう、「3・11以前の話であるから、いまから漫才のネタにしてもくすりとも笑えんのではないか」と記した。
しかし、つらつら考えてみるに、くすりとも笑えん、ともいえなくなってきているのではないか。
たしかに少し前までは、たとえばこんな状態が持続していた。
▼2011年4月17日:3・11以前のこと
▼2011年5月2日:連休の谷間に漫才のことで思いわずらう
ところが、いまは、ちょっとちがう。
いつのまにか、心境の変化、というか、感情の水位の上昇、というか、そういうことが起きている、ような気がする。
きのうつらつら考えてみて、そのことに思いあたった。
ひとことでいえば、3・11から四か月以上が経過して、ショックが和らいだ、ということだろう。
鬱っぽかった心境が、そうでもなくなった。
萎縮していた感情が、そうでもなくなった。
そういうことだろう。
3・11以前のことが、ふたたびしっかりした手ごたえを帯びて戻ってきた、みたいな気がする。
もしかしたら、原発事故のこともあるのかもしれない。
地震や津波は、ある日、突発的に、避けがたい天災として襲ってきた。
しかし、東京電力福島第一原子力発電所の一連の事故は、まったくそうではない。
な。
名張市役所のみなさん、そうじゃろうが。
3・11以前に原発という名のブラックボックスや原子力村と揶揄される特権的閉鎖社会に人知れず積み重ねられていたハードソフト両面の問題が、地震と津波をきっかけに一気に顕在化して事故を起こした、っちゅーことであって、どうしてこんな事故が起きたのか、みたいなことを考えはじめると、3・11以前はげにおぼろなり、とかいってらんねーよなおい、という気になってくる。
不肖サンデーの場合、高木仁三郎の著書をひっぱり出してきてぱらぱらしてみたり、とはいえ、手許に残ってたのは講談社現代新書ただ一冊で、そういえば遺著となった岩波新書も、いま調べたら2000年の発行だったらしいんだけど、出たとき買っておらず、つまり十年ほど前には核や原発への関心がすっかり薄らいでいたんだな、と自省したりもしたのであった。
しかしまあ、お役所のみなさんの辞書には、検証とか反省とか、そういったことばは収載されておらんのじゃろうから、過去にさかのぼって思索する、みたいなことはありえないことかもしれんけど、要するに、あたりまえのことをあらためて書いとくと、眼の前のこの日常は3・11以前にも地つづきだ、みたいなことである。
だから、要するに、3・11以前のことが、ふたたびしっかりした手ごたえを帯びて戻ってきつつある、というわけであって、つい最近までなら、とても漫才のネタにゃならんな、と思われていたことも、いやいや、そうでもないかな、と思い返されたりもするわけである。
笑ったり、あるいは、怒ったり、そういったことが、以前よりストレートにできるようになったのではないか。
たとえば、先日、こんなニュースが報じられた。
▼MSN産経ニュース:「出前トーク」 市民の利用呼びかけ 三重・名張(2011年7月10日)
少し以前なら、「『旧細川邸やなせ宿について』は新設のテーマ。名張市新町にある、かつての薬商の支店跡を改修した観光交流施設を広く紹介し、利用者増などによる『旧町』の活性化などを目指す」などという文章を読んでも、ふーん、好きにしとりゃええがね、としか思わなかったはずなんだけど、心境が変化し、感情の水位が上昇したせいで、ということなのか、この記事で旧細川邸やなせ宿という名前を眼にしたとたん、てめーらどうせ不都合な事実はいっさい伏せて歯の浮くようなきれいごと並べるだけで済ましやがるんだろうがこらこのインチキ自治体がよー、みたいな感じで急にむらむらと怒りをおぼえ、わけのわかんないこと叫びながら名張市役所に怒鳴りこんじゃろうか、おらあッ、おらあッ、おらおらおらあッ、と発作的に考えた。
いやいや、あくまでも考えただけの話じゃ。
ほんとに怒鳴りこんだりはせんから、名張市役所のみなさん、とくに市街地整備室のみなさんは、どうぞご休心あれ。
しかし、あれだな。
旧細川邸やなせ宿、というか、まちなか再生事業、というか、そのあたりのことはほんと、ちゃんと漫才として記録しとかないかんな、という気はする。
もちろん、3・11以前には、その気満々であった。
ネタならいくらでもあって、たとえばこれ。
▼名張まちなかブログ:乱歩のことを考える(し)(2010年7月14日)
昨年7月14日のエントリだから、ちょうど一年前ということになるけど、まちなか再生事業につぎこまれたコンサルタント料を確認してみたところ、平成17年から20年、つまり2005年から08年までの四年間で合計三千十万七千七百円が支払われておった。
母さん、名張市民の三千十万七千七百円、どうしたでせうね?
そりゃまあ、母さん、名張市民の八億六千万円、どうしたでせうね? の件にくらべれば、どぶに捨てられた税金の額は微々たるものではあるけれど、それにしたってひどい話じゃねーか。
とくに、名張地区既成市街地再生事業実施計画作成等業務委託に一千二百三十二万七百円、っつーのが痛いよね、つか、あほだよね。
あそこまででたらめで結局はなにひとつ実現に移されず、そもそも関係者からいっさい見向きもされなかった名張まちなか再生プランつくるのに一千二百万もぼったくられてんじゃねーよ、みたいなことは、いまさらいうまでもないことだろうけど、いくらだって漫才のネタになるんよ。
名張市役所のみなさんが、手前どもはなにも考えないことにしております、とか、手前どもはできるだけ働かないようにしております、とか、そんな決意を固めてくれちゃってることそれ自体が、汲めどもつきぬネタの源泉、っつーわけなんだけど、はたして読者のほうの心境や感情の水位は、そうしたネタで笑い転げられるほどに変化し、上昇し、つまりは日常性の回復が進んでおるのかどうか、っつーことになると、いったいどうじゃろうな。
ほんと、どうなんだろうな。
つか、暑くてなんにも考えらんねーや。
なんか、お役所のみなさんみたいになってしもうたがや。
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