休憩おしまい。
だから、要するに、さあ、名張市に市立図書館をつくりましょう、と話し合ったひとたちにとって、乱歩ってのは図書館のお飾りにすぎなかった、ということだったのではないか。
資料収集ってのがどんなことなんだか、それがどうにもよくわかんない、というか、そんなこと最初っから深く考えてみようともしない、というか、そもそも本なんか読むこともなく、だいたいが乱歩には興味も関心もない、みたいなひとたちが、乱歩に力を入れようか、とか、乱歩の関連資料を収集しようか、とか、勢いや流れでそんなようなことをぼーっと思いついてみたところで、しょせんうわっつらをとりつくろうことしかできない、ってのは、当然といえば当然の話であろう。
しかも、驚くべきなのは、それが延々と継続されてきた、ということである。
そりゃまあな、不肖サンデーとて、鬼のようなことをいう気はない。
市立図書館を開設する、となると、これはさすがに大プロジェクトだから、あっちこっちがてんやわんやの大騒ぎだったはずで、乱歩関連資料を収集しましょう、と思いつくだけで精一杯、あとは本屋さんや古本屋さんで乱歩の本を手当たりしだい大人買いするまではたどりつけたとしても、それから先のことをじっくり考える余裕なんてとてもなかった、というのが実際のところだっただろうな、くらいのことは察しがつくし、そんなことを責めるつもりもない。
ただ、そのあとはどうよ、という気はする。
つまり、てんやわんやで開館にこぎつけたあと、じゃあ、乱歩のことをじっくり考えてみましょうか、ということに、どうしてならなかったのであろうな。
なんどもくり返すけど、名張市立図書館がオーブンした当時、ちょうど講談社版歿後第一次乱歩全集が毎月配本されていて、そこに収められた乱歩の自伝をひもとけば、おのずから乱歩の自己収集ってやつが視野に入ってくる。
おお、と膝を打つのがふつうじゃね?
乱歩関連資料の収集について、乱歩自身がこれ以上ないお手本を示してくれているのである。
おお、と膝を打ち、乱歩がここまでお手本を残してくれているんだから、名張市立図書館の乱歩関連資料の収集は、乱歩の自己収集を継承する、みたいな線で進めるのがいいだろうな、との結論にたどりつくのがふつうだと思うぞ。
名張市立図書館の開館は、乱歩の死去から四年後のことだったんだから、乱歩の死を受けて継承する、というのは流れとしても自然だしな。
ところが、名張市立図書館は、そういうことをいっさいせんかったようである。
乱歩の自伝を読むこともせず、乱歩の自己収集について知ることもせず、とにかくもう、考えるということをいっさいせんかったようである。
ほんと、どうしてそうなんだろうな。
どうして、なーんにも考えない、みたいなことができてしまうのであろうな。
たとえ思いつきであっても、乱歩関連資料を収集する、ということになったのであれば、いろいろあれこれ考えてみるはずだと思うんだけど、どうしてなにも考えなかったのであろうな。
しかしまあ、当然といえば当然かもしれない。
名張市立図書館といったって、しょせんはお役所である。
だったら、無能と怠慢に支配されているのは、むしろ当然のことであろう。
図書館スタッフとてしょせんお役人なんだから、手前どもはなにも考えないことにしております、とか、手前どもはできるだけ働かないようにしております、とか、そういったスタンスでお仕事をするのが、いやいや、お仕事をしないのが、というべきか、ともあれ、それもまた当然のことであろう。
しかし、しかしなあ、なあ名張市役所のみなさんや、いくらなんでもひどすぎだと思わない?
おんなじことをくどくど書くけど、乱歩関連資料というのは、乱歩作品を読んだり、乱歩のことを知ったり、乱歩について調べたり、そんなことができる資料のことである。
だったら、まず収集する立場の人間が、読んだり知ったり調べたり、みたいなことをしないことには、話が前に進まない。
こんなのはごくごくあたりまえの話なんだけど、しかし名張市役所のみなさんには、おわかりいただけないのであろうか。
つまり、乱歩関連資料を収集しております、という図書館が、じつは乱歩関連資料っていったいなんだろうね、みたいなことをまともに考えたことがいちどもない、というのは、ありえないくらい無茶苦茶なことだと思わない? と不肖サンデーは申しあげておるわけなのじゃが、名張市役所のみなさんにはまーだご理解いただけぬのであろうか。
な。
図書館だぞ図書館。
図書館がそんなことでどうするよ。
かりにこれが、図書館ではなくて、市長部局のどっかのセクションが、なにかしら乱歩関連事業を手がけた、みたいな話だったとする。
たとえば、あれだ。
三重県内にある乱歩ゆかりの都市を集めて、じゃーん、乱歩都市交流会議をつくりましたあッ、とかいうあほな話があったけど、あんな話ならまだいいのである。
いや、よくないか。
よくないだろうな。
なにしろ不肖サンデー、以前はともかく、いまや名張市乱歩関連事業アドバイザーなんだからな。
いくらあほみたいな事業であるとはいえ、乱歩都市交流会議だって乱歩関連事業ではあるのだから、 多少のことは申しあげておくべきじゃろう、と考え直して、ごく軽く述べておく。
ただまあ、名張市が提唱してひとつの会議を発足させた、ということ自体は、この場では不問に付す、ということにしておこう。
それにしても、名張市ってのは、どういうわけか、こんなふうなスキームづくりが好きみたいだよね。
会議、委員会、協議会、その他。
名前はいろいろあるけれど、とにかくスキームつくって事業を進める、みたいことを名張市はようやらはる、というわけなんんだけど、かんじんのスキームがほとんど機能しておらんではないか。
たとえば、うすらばかがうすらばか集めてなんの騒ぎだすっとこどっこい、でおなじみの名張まちなか再生委員会なんて、名張市のつくったスキームがいかに機能しないかの見本みたいな組織だったからな。
なんかもう、うわっつらだけとりつくろってスキームをつくりさえすれば、あとはお役所に都合よく事態がどんどん進展していってくれますねさ、みたいな虫のいいことなんか起こりっこない、といったことをそろそろ学習してもいいころであろう。
進展どころか、乱歩都市交流会議なんて、一歩踏み出して、それでおしまいであった、というしかないではないか。
そりゃそうよ。
うわっつらだけとりつくろった張りぼてをいくらつくってみたところで、張りぼてなんだから中身は完全なからっぽで、すっからかんのかーらから、なにかが動き出すなんてことは望めるはずもない。
だから、本来であれば、名張市にたいして、なんなんだそのスキーム依存症は、と厳しい批判を投げかけてやるべきなんだけど、残念ながら不肖サンデー、名張市乱歩関連事業アドバイザーでしかない。
名張市ものの道理アドバイザー、なんてものを拝命しているのであれば、名張市役所のみなさんにものの道理ってやつを諄々と説いて聞かせてさしあげるのじゃが、残念ながらそうもまいらぬ。
乱歩まわりのことだけ、ちょこっとアドバイスしておこう。
三重県内の乱歩ゆかりの地、といったら、伊賀市も入ってくる。
したがって、乱歩都市交流会議を発足させます、などというのであれば、伊賀市にも声をかけるべきであった。
少し以前、新聞記事にもなっておったではないか。
▼2011年4月23日:ウェブニュース:上野城下町絵図を発見 伊賀文化産業協 修復、来春公開へ
この4月21日付読売新聞の記事には、「正徳5年に津から転入した藩士で、作家・江戸川乱歩(本名・平井太郎)の先祖にあたる平井隼人」と記されている。
つまり、ある絵図に乱歩のご先祖さまの名前が記されていて、そのご先祖さまが伊賀上野の城下町に移り住んだのは正徳5年のことであった、といったような歴史的事実を積み重ねることでその絵図の制作年代を特定した、という記事なんだけど、伊賀上野に乱歩のご先祖さまが住んでいた、という歴史的事実がこうして存在しているわけなんだから、三重県内の乱歩ゆかりの地をリストアップする場合、伊賀市を無視するわけにはいかんじゃろう、という話なのである。
むろん、もうひとつ、伊賀上野出身の代議士、川崎克と乱歩の関係を無視することもできない。
だから、どのセクションだか知らないけど、乱歩都市交流会議をつくりまーす、などとあほなことを思いついた担当セクションは、いちどは図書館に足を運んで、乱歩と三重のゆかりについて、知ろうとしたり調べようとしたりするべきだったのね。
そうしたら、図書館から、これこれこういう乱歩関連資料があって、それによれば乱歩のご先祖さまの平井隼人というおさむらいが伊賀上野の城下町に住んでいたんだから、そのあたりも勘案すべきではないのか、とか、あるいは、乱歩の随筆に「先生に謝す」というのがあって、それを読めば乱歩と川崎克のそれこそ深いゆかりがよくわかるから、そのあたりも参考にして判断すればいいのではないか、といったアドバイスが本来であれば示されるはずなんだけど、むろん名張市立図書館にはそんなことはできない。
──開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
これが実態である。
だからまあ、要するに、ちゃんとしよう、ということである。
図書館だぞ図書館。
市長部局が一知半解の知識にもとづいて、ただのお飾りとして乱歩を利用する、なんてのはまだいいとして、いやいや、ほんとはよくないんだけど、比較対照する都合上、まだいいとして、ということにしておくけれど、よりにもよって図書館が乱歩をお飾りにしてどうするよ。
ほんと、どうしてそうなんだろうね。
少しはちゃんとしよう。
ちっとは考えよう。
な。
考えるのは、わるいことではない。
わるいどころか、ぜひとも必要なことだ。
思いつきだけでは、どうしようもないからな。
だから、こうやって、四十年ほども時間をさかのぼって、最初の最初から考えを進めておるわけなんだけど、なんか、名張市立図書館がなーんにも考えようとしなかったことのつけを、どうして不肖サンデーが一身に引き受けなければならないんだろうね。
なんか、ばっかみたい。
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