Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2016.08.10,Wed
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毎日新聞
平成18・2016年8月8日 毎日新聞社
歴史ウオーカー|/97 江戸川乱歩が暮らした名古屋を歩く=長屋良行 /愛知
長屋良行
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歴史ウオーカー|/97 江戸川乱歩が暮らした名古屋を歩く=長屋良行 /愛知
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歴史ウオーカー
/97 江戸川乱歩が暮らした名古屋を歩く=長屋良行 /愛知
毎日新聞2016年8月8日 地方版
愛知県
猥雑で混沌の世界観生み出す
江戸川乱歩が、3歳から18歳まで名古屋で暮らしていたことを、知る人は少ない。あの官能的でおどろおどろしい乱歩ワールドは、名古屋で生まれたのだ。
今回は、乱歩の足跡を追いかけ、明治の名古屋を歩いてみたい。スタートは地下鉄伏見駅の1番出口。まずは、錦通を栄方面へ向かう。
江戸川乱歩こと平井太郎は、明治27(1894)年に三重県名張市で生まれた。2歳の時に、父繁男の転勤で同県亀山市に移り、3歳の春、父が転職したため、名古屋市園井町に移住した。
町名は残っていないが、資料から現在のりそな銀行の辺りだと思われる。平井家の引っ越しは、まだ続く。
その年の暮れに葛町に転居。4歳の春、再び父が転職したため南伊勢町へ。さらに6歳の時には栄町。7歳時に再び南伊勢町に戻った。
栄交差点の西が当時の栄町だ。信号を渡り、スカイルと丸栄の間を南下する。ここからナディアパークまでが、かつて南伊勢町と呼ばれていた。
放浪癖のある乱歩は、生涯に引っ越しを46回、転職を十数回も繰り返すが、それは父親の異常なまでの引っ越し癖が大きく影響している。幸か不幸か、こんな家庭環境が、一人で本ばかり読んでいる空想癖のある少年をつくった。
白川公園には、乱歩が通っていた白川尋常小学校跡があり、「白川小学校ありき」と書かれた石碑が残る。大須の歩道橋を渡る。晩年、乱歩が定宿にしていた大須ホテル跡は、現在、伏見通になっている。
大須観音を抜け、商店街を歩く。今も昔も変わらない、この猥雑(わいざつ)で混沌(こんとん)とした世界こそ乱歩の世界観だ。浅草をこよなく愛した乱歩は、そこに大須を重ねていたのかもしれない。
ゴールは鶴舞公園。多感な少年に衝撃を与えた場所だ。16歳の時に、鶴舞公園で「第10回関西府県連合共進会」(博物館)が開催された。乱歩は、ここで見た映像パノラマ館「旅順海戦館」と幽霊屋敷「八幡の籔知らず」に大きな影響を受け、それが乱歩ワールドの原点になっているという。今も鶴舞公園には、その時に造られた噴水塔と奏楽堂が、復元ではあるが残っている。
明治45(1912)年、父の会社が倒産し、一家は夜逃げ同然で名古屋を去った。乱歩18歳の春だった。その11年後、乱歩は日本初の推理小説作家として文壇デビュー。乱歩ワールドは大ブームとなった。(名古屋おもてなし武将隊仕掛け人)=次回は8月29日掲載
★ゴール後の交通手段
JR中央線「鶴舞」駅、地下鉄「鶴舞」駅へ徒歩約3分。
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