サンデー先生の平熱教室、先に進む。
先に進むために、少し後戻りする。
名張市立図書館が開設された時点まで、ちょっと戻ってみる。
名張市立図書館の開設は、昭和44年7月のことであった。
開設準備の段階で、乱歩を図書館運営の重要なコンテンツとして位置づけよう、ということになった。
だからこそ、昭和62年に名張市立図書館が移転改築されたとき、館内に乱歩コーナーが設けられたのである。
しかし、開設の時点で、名張市立図書館は大きな失敗を犯していた。
このところよく耳にすることばでいえば、初動ミス、というやつである。
はじめの第一歩、みたいなとこで、いきなりまちがえてしまった。
なんか、胸のすくような大失敗に終わったまちなか再生事業が、そこはかとなく思い出される。
あの事業もほんと、第一歩目がすなわち、おらおらおらおら、うすらばかがうすらばか集めてどういうつもりだおら、みたいな初動ミスであった。
名張市立図書館の場合もまったくの初動ミスであって、どんなミスであったかは先日も記した。
乱歩関連資料を収集する、といきなり決めてしまったことである。
収集の目的はなにか。
収集の方針はどうするのか。
収集した資料はどう活用するのか。
そういった基本的なことにはいっさい顧慮せず、乱歩関連資料を収集いたします、と決めてしまった。
えらいミスである。
図書館ってのは、本を読むところであり、ものを調べるところである、といった基本中の基本が理解できていなかったくせに、どこかで聞きかじった資料収集なんてことばに飛びついたことが、いまに尾を引く重大なミスに結びついた。
では、昭和44年に後戻りして、いったいどうすればよかったのか、ちょっと考えてみる。
昭和44年、新刊で入手可能だった乱歩の本には、さてどんなものがあったか。
まず、新潮文庫『江戸川乱歩傑作選』と教養文庫『探偵小説の謎』、この文庫本二冊が定番で、あとは春陽文庫とポプラ社の少年もの、みたいなところだったと記憶しているのだが、名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』によれば、前年の昭和43年には講談社ポピュラー・ブックスに乱歩作品が入り、同じく講談社の現代長編文学全集に乱歩の巻が立てられている。
しかし、昭和44年といえば、なんといっても歿後最初の乱歩全集が講談社から刊行されはじめた年であって、当初は全十二巻の予定であったところ、圧倒的な好評が寄せられたため全十五巻に増巻され、とはいうものの、少年ものや随筆など、全集と銘打ちながら収録されていない作品もじつはたくさんあったんだけど、とにかくひろく江湖の読書子から喝采を博した。
むろん、新刊では入手不可能だが、古書店でなら購入できる乱歩の本、なんてのもたくさんあったはずだ。
さて、名張市立図書館はなにを考えるべきであったか。
乱歩を重要なコンテンツとして位置づける、といったって、なにしろ図書館なんだから、この平熱教室でくり返し述べてきたとおり、とりあえず乱歩作品を読めるようにしなければ、おはなしにならない。
だったら、どうすればいいのか。
乱歩がどんな作品を書いたのか、どんな本を出したのか、それを知ることが必要になる。
その点、乱歩というのはじつにありがたい作家で、この年にはこんな作品を発表しました、この年にはこんな本を出版しました、みたいなことを自伝にちゃんと書いてくれてある。
だから、乱歩作品を読む、といったテーマを図書館として追い求めてゆくのであれば、こんなのはまあいうまでもないことなんだけど、乱歩の作品と著書のリストをつくる、みたいな作業からスタートするべきであった。
つまり、くどくどいうけど、名張市立図書館は、乱歩作品を読むことができる図書館、乱歩について知ることができる図書館、そういったところをめざすべきだったのであり、そのためには、これもほんとにいうまでもないことなんだけど、まず図書館サイドの人間が、乱歩作品を読み、乱歩について知ろうとしなければならなかった。
しかし、そんなことはまったくなかった。
乱歩を読もうともせず、乱歩を知ろうともせず、図書館は資料を収集するところであるらしいという一知半解の知識にもとづいて、収集の目的も、収集の方針も、収集資料の活用も、そんなことはいっさい考えることなく、名張市立図書館は乱歩関連資料を収集いたします、とぶちあげてしまった。
なんなんだろうなまったく。
やーい、あほ。
ま、あほであることにはまちがいがないのだが、名張市立図書館はなぜそんなあほなことをしてしまったのか、名張市立図書館にとって乱歩関連資料の収集というのはどういうことだったのか、次回はそのあたりを考察してみたい。
やーい、あほ。
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