サンデー先生ざんす。
平熱教室ざんす。
平熱なのに寒いざんす。
さて、資料収集の話である。
名張市立図書館は、乱歩を読み、乱歩を知るための資料を収集する、という方針をとりあえず定めることにして、ならば、具体的にどんな資料を集めればいいのか、という話に進む。
まず、乱歩を読むための資料、とはなにか。
いうまでもなく、乱歩が書いた作品のことである。
たいていの乱歩作品は本になってるから、それを集めればよろしい。
しかし、ここ日本においては、一般的な公共図書館ならまずまちがいなく乱歩の本は置いてある。
だから、ただ乱歩の本を集めてます、ってだけじゃ、乱歩に特化した図書館運営、なんてことにはとてもならない。
だから、先日も記したとおり、本になってないものも含め、すべての乱歩作品が読める図書館、みたいな線をめざすことが必要になってくる。
本になってない乱歩作品を、こつこつ地道に調べ、集めることが必要になってくる。
とくに、雑誌に掲載された対談や座談会なんかには、本になってないものが少なからずあると推測されるから、丹念に調査してゆくことが必要になってくる。
どうだ。
なんか、図書館のお仕事らしくなってきたではないか。
めざせ、ふつうの図書館。
つづいて、乱歩を知るための資料、とはなにか。
まずあげられるのは、乱歩作品そのものである。
乱歩を知るためには、乱歩作品を読まなければならない。
乱歩を知るための第一歩は、乱歩作品を読むことにほかならない。
だから、乱歩を読むための資料、というやつはすべて、乱歩を知るための資料でもある、ということになる。
こんなあたりまえのことをわざわざ説明するというのも、あほらしいっちゃきわめてあほらしい話ではあるのだが、名張市役所のみなさんの場合、ここまで懇切丁寧にお相手しなければならんのであろうな。
さて、乱歩作品以外にも、乱歩を知るための資料というやつが存在する。
乱歩以外の人間が、乱歩について記した資料のことだ。
ごく近い例をあげれば、たとえばこれ。
▼2011年5月20日:書籍:想い出の作家たち
この本に収録された平井隆太郎先生の「江戸川乱歩」を読むと、平井先生の主観に立った乱歩の人物像を知ることができる。
だからこれは、乱歩を知るための資料だということができる。
むろん、ひとくちに、乱歩を知るための資料、といったって、いろいろな種類がある。
平井隆太郎先生の「江戸川乱歩」では乱歩の人物像を知ることができるが、ほかにも作家論や作品論をはじめとして、乱歩以外の人間が乱歩のことを記した文章がたくさん存在している。
それらの資料を地道に調べ、丹念に集めてゆくことが必要になってくる。
どんな資料を集めればいいのか。
参考になるのは、いうまでもなく、乱歩そのひとである。
乱歩は、新聞や雑誌の記事であれ、作家論や作品論のたぐいであれ、自分のことが記された資料を、あたうかぎり収集して記録し、保存していた。
それが乱歩の自己収集と呼ばれるコレクションであって、実際にどんなものが収集されていたのかということは、乱歩の自伝『探偵小説四十年』やスクラップブック『貼雑年譜』に親しむことで、おのずからわかってくるはずだ。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するというのであれば、乱歩の自己収集を理解し、いわば内面化して、それを継承するのが望ましいと判断される。
乱歩の自己収集を継承する、みたいなところが日本のどこかにひとつはあってもいいはずだ、というか、ひとつはあるべきだと思われるのだが、あいにくとそんなところはどこにもない。
だったら、名張市立図書館が手がければいいではないか、というだけの話である。
図書館としては、ごくあたりまえのお仕事である。
ほんとにあたりまえの話なんだけど、名張市役所のみなさんにはあたりまえの話が通じないから、あえてこうして書いとくざんす。
Powered by "Samurai Factory"