雑誌
大衆文化 第5号
平成23・2011年4月25日 立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター
A5判 87ページ 別丁1 500円(税込)
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関連箇所
パノラマ文化史管見──『パノラマ島奇談』の余白に──
副島博彦
p2ー9
翻刻「活動写真のトリツクを論ず。」
落合教幸
p69ー87
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パノラマ文化史管見──『パノラマ島奇談』の余白に──
副島博彦
一八〇〇年五月六日、五一歳のゲーテは、当時まだ内縁関係にあった一六歳年下のクリスティアーナ・ヴルピウスに、旅先のライプツィヒからこんな便りを出している。
パノラマというのがあって、ロンドンの街全体がまるで塔にのぼって見渡したようにみえるのだけれど、それは、ほんとうに不思議なものなんだ。それをみたら、きっと、おまえたちもびっくりするよ。
ゲーテがみたのは、その前年にハンブルグに上陸して成功を収め、ライブツィヒへ巡回してきた《ロンドンのパノラマ》の興行だった。ロバート・バーカー(一七三九~一八〇六)が発明したパノラマは、当時の先端都市ロンドンから、この年、大陸へ渡ってきたものだった。
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翻刻「活動写真のトリツクを論ず。」
落合教幸
〈解題〉
大正五年に早稲田大学を卒業した乱歩は、大阪へ移り貿易会社の加藤洋行に勤めるものの、翌大正六年五月には辞めてしまう。その理由を、「毎日同じようなことをくり返して飽きないという耐久性に欠けていた。それと、合宿生活をしていたので、独りぼっちになって勝手な妄想に耽る(よくいえば思索する)機会が極めて少なく、これが私には耐えがたかった」と、のちに乱歩は『探偵小説四十年』に書いている。
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