Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2016.03.21,Mon
鳥羽造船所の「日和」は大正7年11月15日に第一号、12月15日に第二号が出たあと、乱歩が退職して上京してしまいましたから、第三号はかなり遅れて大正8年5月12日に発行され、それで廃刊となりました。
とか書いてるあいだに、鳥羽がひどいことになってるみたいです。きのう配信されたこのウェブニュース、びっくりするようなことが報じられておりますがな。
▼YOMIURI ONLINE:乱歩の出会いがあった島、恋愛成就でアピールへ(2016年3月20日)
坂手島を「2人が恋愛を成就させた島」と呼んでいいものかどうか、そのあたりもおおきに疑問なんですけど、とくにひどいのがここ。
具体的には、当初は交際を断っていた隆に対し、乱歩が「志摩はよし 鳥羽はなおよし 白百合の 真珠がごとき 君がすむ島」などの恋文を連日のように送ったとされる逸話にちなみ、短い恋文コンクールを企画。6月1日から9月30日まで、40~50文字のラブレターをインターネットで募集する。
じつは名張がそうなんですけど、どうやら鳥羽も同断らしく、ろくに乱歩作品を読みもせず、乱歩のことを知ろうともせず、ただ乱歩乱歩と口走ってるだけの手合いがぴーひゃらぴーひゃら、などとぼやいてみても仕方ありませんけど、こうなると『乱歩東海随筆』を早く出さなきゃいかんなあ。
というか、本にできるかどうか、あてはまったくないんですけど。
ではここで、本にするまで公開するつもりはなかったんですけど、なにしろ本にできる可能性がきわめて低いという事情もありますので、『乱歩東海随筆』の鳥羽篇から一点だけ、急遽仕上げたPDF版をごらんいただくことにいたします。
しかしこの一件、あした設立されるという「恋する鳥羽の会」とやらがとんでもない事実誤認をしていることは、いずれ遠からず明らかになるものと思われますけど、このまま知らん顔していていいのかしら、と三重県民のひとりとして悩まずにはいられません。
「日和」の話題は、またそのうちに。
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