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Posted by 中 相作 - 2016.03.18,Fri
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 平成28・2016年3月12日 blueprint

魔法少女のステッキが導くノワールーージャポニズムに彩られた『マジカル・ガール』の美学
 牛津厚信
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魔法少女のステッキが導くノワールーージャポニズムに彩られた『マジカル・ガール』の美学

牛津厚信

2016.03.12

 この映画には絶頂がない。いやむしろ全編にわたり静かな絶頂に達し続けているというべきなのか。いざ扉を開けば最後。観客はまるで悪魔と契約を交わすかのような「手と手」の儀式に出くわし、そこからは芋づる式に悪夢の予感がしずしずと物語を満たしていくのを、ただ呆然と見守るしか術がない。一寸先すらも闇。何がどう展開するのか全くもって予測不能。そして観客の多く、特に日本人は、次の言葉に衝撃を受けることになる。

「魔法少女ユキコ」

 本作の登場人物のひとり、12歳の少女アリシアが熱狂する日本の(架空の)アニメーションである。そう、この映画には濃厚なジャポニズム要素が漂う。

 本作の監督、30代のカルロス・ベルムトは自身が愛してやまない日本のカルチャーを随所に挿入し、ある種のフィルムノワールとしてのまとまりの良さを放棄してみせた。高らかに鳴り響く長山洋子の「春はSA-RA SA-RA」。そうやって化学変化、あるいは突然変異とも言える肌感が像を帯び、ノワール世界に紛れ込んだ男たちは、魔法少女の持つ不思議スティックに導かれるまま、運命を右へ左へ、上へ下へと蛇行させていく。

出逢い、絡まり、錯綜する4つの目線



Una produccion de Aqui y Alli Films, Espana. Todos los derechos reservados(c)

 冒頭、教師が「何がどう転んでも、2+2=4なのだ」と口にする。面白いことに、この群像劇のメインキャラも4人だ。まずは少女アリシアと失業中の父ルイス。運命の審判は突如下される。娘が白血病に侵されており余命も短いことが判明。父は思う。元気なうちに好きなことをさせてあげたい。そこで娘のノートに書き記してあった「魔法少女ユキコのコスチュームが欲しい」という願いを叶えるべく危ない橋を渡ることに。

 一方、スペインの全く別の場所では、バルバラという美しい女が予測不能の行動を見せる。精神的に不安定な彼女には夫がいるのだが、彼は物語の周辺で右往左往するばかりで語り手として入り込んでくることはない。

 そして、もう一人。バルバラが電話をかける相手、初老の男ダミアンがいる。刑期を終えたばかりで、ジグゾーパズルが好きらしい。獄中でも模範的な暮らしを送っていたようで、人々からの信頼も厚い。



Una produccion de Aqui y Alli Films, Espana. Todos los derechos reservados(c)

 かくしてピースは揃った。教師の言葉が本当ならば、「2+2=4」は絶対的な真理であり、完全なる真実なのだとか。その命題を証明するかのように、4つの目線は思わぬ形で邂逅を遂げ、「魔法少女ユキコ」のコスチュームが欲しいという純真な願いはいつしか登場人物の誰しもを運命の螺旋階段へと突き落としていく。果たして事の顛末に、パズルは一体どのような完成図を見せるのか――。

 我々は、この研ぎ澄まされた語り口に魅了されるあまり、クライマックスよりもむしろ、次に何が待ち構えているのか、その一瞬一瞬を待ちきれなくなる。だからこそ、絶え間ない絶頂。芋づる式の悪夢。

魔法少女のステッキが導くノワールーージャポニズムに彩られた『マジカル・ガール』の美学

省略の美学。そして黒蜥蜴。



Una produccion de Aqui y Alli Films, Espana. Todos los derechos reservados(c)

 この魅惑的な語り口を可能とした要因には、カルロス・ベルムトによる省略の美学が挙げられよう。イラストレーター、そして漫画家でもある異色の映像作家は、冒頭の「手と手」の会話に象徴されるように、重要な場面で必要な情報を躊躇なく削ぎ落としてシンプル化、あるいは象徴的な絵図で代弁させる。

 ヒゲモジャのベルムト監督は、魔法少女のステッキをひと振り、ふた振りしながら、登場人物たちの感情表現さえも削ぎ落としていく。表情からも恐れや怯え、喜び、痛み、悲しみ、絶望はほとんど読み取れない。それどころか、感情移入に不可欠な登場人物のバックグラウンドや、そこで実際に何が起こったのかの具体性すらも大胆に省略する。

 たとえば、「悪魔のような女」と呼ばれるバルバラ。彼女は中盤、黒蜥蜴の紋章があしらわれた部屋と対峙することになる。ここに入室して耐え抜けば一度に大金を掴むことができる。しかし具体的な描写の一切は切り落とされるのだ。

 この「黒蜥蜴」だが、ベルムト監督によるとやはり江戸川乱歩へのオマージュとして引用した模様。さらにエンディングでは美輪明宏の作詞作曲した「黒蜥蜴の唄」のカバー曲が深い海に沈むような余韻を漂わせてやまない。ベルムトの傾倒ぶりはかなりのものと言える。

 思い返すと、乱歩の「黒蜥蜴」では、タイトルロールの女盗賊が御開帳するアジトに、人間たちの剥製がずらりと陳列されていた。この『マジカル・ガール』がそれと同じとは言わないが、本作では部屋の一切をブラックボックス化して「黒蜥蜴」の紋章のみにて象徴させる。いつしかこのマークが映るたびに、パブロフの犬のように勝手に想像力を起動し始める我ら。バルバラの額から流れる血や傷痕もまた、どこか蜥蜴を思わせる流麗な湾曲を宿しながら、その顔面を這う。彼女自身も心の内側にブラックボックスを抱えた一人であるといわんばかりに。

 かくして語るべき場所において必要な情報を欠損させることで、それがかえって独特の呼吸を生む。こうやって生まれる語り口がストーリーを力強く際立たせ、なおかつ観客に委ねられた想像力も追い風となって、『マジカル・ガール』の抗いがたい陶酔を深めていくのである。

繰り返される「手と手」



Una produccion de Aqui y Alli Films, Espana. Todos los derechos reservados(c)

 最終的に本作は、すべての要素がブーメランのように旋回しながら元の場所に戻っていく。「願い」は「願った者」へと返球され、「脅し」もまた「脅した者」へと返却される。冒頭にて交わされた「手と手」もまた、契約の履行を証するかのようなタイミングでもう一度リフレイン。それらの場面では手のひらにあるはずのものが、忽然と消えている。ある意味、「ある」と「ない」という概念を等価で結ぶフィクションの構造を示しているかのよう。そして何よりもこうして完成されるストーリーの軌跡は、さながら幾何学模様のように精緻かつ流麗で美しい。

 これが長編第二作となったカルロス・ベルムト。今しがた、ふとYouTubeをチェックすると彼の短編作”Maquetas”と”Michirones”が見つかった。いずれもたった数分のうちに彼独特の陶酔をしっかりと忍ばせ、言葉がわからなくても十分に楽しむことができる。

 奇しくもスペイン経済危機の中で頭角を現したその才能はホンモノだ。彼にしか持ち得ない魔法のステッキで、これから一体どんな世界を描き出してくれるのか。我々は期待と賞賛を込めてすっと手を出し、次なる手が呼応するのを楽しみに待ちたい。多分、次作はもっとすごいことになる。



『マジカル・ガール』予告編

■牛津厚信
映画ライター。明治大学政治経済学部を卒業後、某映画放送専門局の勤務を経てフリーランスに転身。現在、「映画.com」、「EYESCREAM」、「パーフェクトムービーガイド」など、さまざまな媒体で映画レビュー執筆やインタビュー記事を手掛ける。また、劇場用パンフレットへの寄稿も行っている。Twitter

■公開情報
『マジカル・ガール』
3月12日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー
監督:カルロス・ベルムト  
出演:ホセ・サクリスタン、バルバラ・レニー、ルイス・ベルメホ、ルシア・ポジャン
2014年/スペイン/カラー/127分/シネスコ
配給:ビターズ・エンド
Una produccion de Aqui y Alli Films, Espana. Todos los derechos reservados(c)
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/magicalgirl/
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