Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2016.03.14,Mon
乱歩ファンの新人映画監督が「黒蜥蜴」にオマージュを捧げつつ世に問う異色作、ということなんですけど、予告篇を眺めただけではなにがなにやらさっぱりです。
いっぽうこちらは、ごくごく一部でではありますが、熊なのにうちの小春ちゃんそっくり、ととても話題になってる映画です。
そんなことはともかく、なんか大変なことになってきてるのではないか、と思わされるのが、ものすごく面白いからぜひ本にするように、といったようなメールはただの一通も頂戴しておりませんが、地方目線の編集が光る『乱歩東海随筆』です。
ごらんいただけばおわかりのとおり、これまでに本になった乱歩の随筆から東海地方に関係のあるパートを切り貼りしてるわけなんですけど、なかには未刊のものもあって、たとえば102ページの「一行随筆」は、読売新聞の広告に使用されたあと本にも雑誌にも収録されたことがありません。
お読みいただけばおわかりのとおり、とくにどうということもない文章ですが、少年期を回想した随筆の断片のなかにひとつのピースとして嵌め込んでみると、それなりの彩りを帯びて収まってくれます。
じつはこれ、以前『江戸川乱歩執筆年譜』をつくっていたとき、ある日突然、平井隆太郎先生から、乱歩が新聞や雑誌に寄稿した短い文章の切り抜きのコピーを大量にお送りいただいたことがあって、ひとしきり狂喜乱舞したものでしたが、そのなかにあった文章です。
ですから、平井先生のご厚情にいささかでも報いるために、といってしまうと大げさですが、とにかくいつか公刊できればいいな、とぼんやり思っておりました。
これはいってみれば、平井先生から託された課題かもしれないな、という気もいたしますし。
ほんとに大げさですけど。
そんなふうに考えてゆくと、拾っておかなければならない未刊随筆が増えてきてしまいます。
たとえば鳥羽造船所に勤務していた当時、伊勢新聞に掲載された「哀愁の秋」という随筆が『貼雑年譜』に収録されていて、その気になればなんとか判読できますから、これも拾っといたほうがいいか、と考えてこんな感じになりました。
これなんかも、やはりとくにどうということのないおセンチな文章なんですけど、しかし、いまのお若い衆におセンチなどという言葉が通用するものかどうか、ちょっと不安な気もいたしますけど、そんなことはともかくとして、少年期を回想した随筆を読んだあとにこれが出てくると、乱歩が子供時代に感じていた孤独や疎外感、あるいは異端者の自覚と悲しみといったものが、青年期になってもずっと尾を引いていて、というよりさらに深いものになっていて、それが乱歩をしていっそう文学にのめり込ませていったことがわかります。
で、そうなると、鳥羽造船所の「日和」をスルーするわけにはいかんのやないか、とまた面倒なことに思い至ってしまいました。
乱歩が編集した「日和」の記事が引用された例は、私見の限りでは三重大学の尾西康充先生による「江戸川乱歩と鳥羽暴動私見」があるだけです。
▼三重大学:江戸川乱歩と鳥羽暴動私見(PDF)
とはいえ「日和」には、鳥羽造船所に勤務していた若き日の乱歩の姿がいきいきと浮き彫りにされていますし、のみならず、「日和」の記事は鳥羽の地域史研究にとって一級の資料ということにもなりますから、やはり一度、公刊しておくべきであろう、とまたほんとに面倒なことに思い至ったりしてしまいました。
しかし、なんか、やばいなあ。
やばい方向に暴走してる感じだなあ。
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