サンデー先生の平熱教室、これまでのところは、とくに難解でもなかったと思う。
図書館というのは、本を読むところである。
その図書館が、乱歩に特化した運営を進めることになった。
どうすればいいか。
乱歩の本を読む場にする。
乱歩の本が読める場にする。
まず、それが必要だ。
しかし、日本全国の一般的な公共図書館には、多いか少ないかはべつにして、乱歩の本はまちがいなく収蔵されているはずである。
したがって、乱歩の本が読める、つまり、乱歩の文庫本や全集なんかを置いてある、というのは、日本の公共図書館においてごくあたりまえのことなんだから、たとえば、すべての乱歩作品が読める、ということにでもしなければ、乱歩に特化した運営と呼ぶことはできない。
ここで注意しなくちゃならないのは、本になってない乱歩作品もある、ということだ。
新聞や雑誌などに発表されたまま、そのあと本にならずにほったらかしにされている作品は、本で読むことは永遠にできない。
しかし、本になっていようがいまいが、乱歩が書いた作品であることには変わりがないのだから、取り扱いは平等にしなければならない。
さて、以上に考えてきたことを踏まえて、乱歩に特化した図書館というのはどんなものか、定義をひとつ、示しておくことにしよう。
それは当然、いうまでもないことながら、乱歩の全作品を読むことができる図書館、という定義だ。
ほかにも定義は考えられるが、なによりも本を読む場である図書館が、乱歩という作家に特化した運営を進めるというのであれば、まずめざすべきなのは、乱歩の全作品を読めるようにする、ということであるはずだ。
だから、名張市立図書館では、名張市に生まれた作家、江戸川乱歩のすべての作品をお読みいただけます、ということにすればいいわけなんだけど、えーっと、わかってくれるかな?
名張市立名張小学校のよい子たちはわかってくれるだろうけど、名張市役所のひとたちはどうだろう。
わかってくれるかな?
ここまでわかりやすく説明しているのだから、たぶんわかってくれるはずだと思う。
しかし、こんなあたりまえのことが、名張市立図書館にはわかっていなかった。
乱歩に特化した運営をめざしながら、乱歩がどんな作品を書いたのか、どれだけの作品を残したのか、そんな基本的なことを知ろうとさえしなかった。
どうして? と尋ねられても、不肖サンデーにはわからない。
ま、あほなのであろう。
本質にはいっさい眼をむけようとせず、うわっつらだけとりつくろってかっこつけてりゃ機嫌がいい、みたいなあほしか、名張市立図書館まわりにはおらなんだということであろう。
だから、いまだに、こんななさけない状態である。
──開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
ほんと、もうやめちまえよばーか、と不肖サンデー、思わないでもないけれど、まだ完全に手遅れというわけでもないのだから、いまからできること、やるべきことを、こつこつやってゆけば、それでいいと思う。
さて、これでとりあえず、名張市立図書館の目標がひとつできた、ということになる。
乱歩のすべての作品を読むことができる図書館をめざす、というのが、ひとつの大きな目標になった。
どっか変?
どこにも変なところはないと思う。
館内にわざわざ乱歩コーナーを開設し、特別あつらえの陳列ケースを設置して、そこに嬉々として乱歩賞受賞作品の単行本なんかを展示している図書館のほうが、そりゃもうよっぽど変だと思う。
ちなみに記しておくと、乱歩作品を読む、という場合、将来を見越して、読むのは電子データでもかまわない、ということにしておくのがいいだろう。
紙の本や雑誌、新聞などのたぐいのみならず、これから先の時代、パソコンや各種デバイスで乱歩作品を読む、ということが、ますますあたりまえになってくるのではないか。
だから、先日も述べたとおり、将来、乱歩作品の著作権が期限切れになってしまったら、乱歩の全作品を電子データ化してインターネット上で公開し、そうすることで、乱歩作品をパブリックドメインとして長く保護し、ひろく提供してゆく、みたいなことも、名張市立図書館は責務のひとつとして考えてゆくべきではないか。
ただし、名張市立図書館には、そんなことを考える能力はない。
能力以前に、そもそも考える気がない。
なにしろお役所である。
手前どもはなにも考えないことにしております、とか、手前どもはできるだけ働かないことにしております、とか、そんなみなさんに、ちゃんとしたことを考えてくれ、とか、ちゃんしたことをやってくれ、とか、そんなことをお願いするのはしょせん無理なのである。
だから、不肖サンデーのような善良で有能な市民が、とんだ苦労を背負いこまなければならない。
こらまたどういうわけか。
世の中まちがっとるよ。
まことに遺憾に存じます。
次、行ってみよう。
もういちど、図書館っていったいどんなとこ? ということを考えてみる。
名張市立名張小学校のよい子たちにそれを尋ねたら、「本を読むところでーす」という返事のほかに、もしかしたら、高学年のよい子たちのなかからは、「ものを調べるところでーす」という返事が返ってくるかもしれない。
それも正解だ。
図書館では、いろいろなことを調べ、知識を身につけることができる。
だったら、名張市立図書館が乱歩に特化した運営を模索する場合、乱歩のことを調べられる図書館をめざす、という方向性が浮上してくる。
ただし、どこの図書館でも乱歩のことは調べられるわけだから、乱歩のことを調べるための資料がたくさんそろっている図書館、みたいなものをめざすことが必要になる。
以上、わかってくれるかな?
図書館というのは、本を読んだり、ものを調べたりするところだ。
これは、名張市立名張小学校のよい子たちにも理解してもらえる定義だろう。
名張市役所のみなさんにも、きっと理解してもらえるものと思う。
だったら、名張市議会議員のみなさんはどうだろう。
ちょっと無理かな?
いや、無理なことはないだろう。
ここまでわかりやすく説明してるんだから、どんなおまぬけな名張市議会議員の先生も、きっと理解してくれるはずさ。
さて、本を読んだり、ものを調べたり、そういう場であるべき図書館が、もしも乱歩に特化するというのであれば、乱歩を読む、乱歩を知る、みたいなことが重要なテーマ、最大のモチーフになってしかるべきなんだけど、そのためには、まずなによりも、図書館みずからが乱歩を読み、乱歩を知ることに努めなくちゃならない、ということになる。
わかってくれるかな?
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