昨年11月に初演された「乱歩の恋文」。
▼乱歩の恋文:Top
DVDがリリースされました。
▼演劇ユニット てがみ座 News:『乱歩の恋文』DVD販売開始(2011年4月30日)
来年1月下旬、世田谷パブリックシアターの「シアタートラム ネクスト・ジェネレーションVol.4」で再演されることも決定。
▼世田谷パブリックシアター/シアタートラム:「シアタートラム ネクスト・ジェネレーションVol.4」の選考結果について(2011年4月4日)
▼シアターガイド:「シアタートラム ネクスト・ジェネレーション Vol.4」は、演劇ユニット てがみ座『乱歩の恋文』に決定(2011年4月6日)
「シアタートラム ネクスト・ジェネレーションVol.4」には四十六劇団が応募し、審査員の全員一致で演劇ユニットてがみ座の「乱歩の恋文」が選出されたとのことです。
戯曲「乱歩の恋文」の冒頭は当ブログでお読みいただけます。
▼2011年1月5日:雑誌:乱歩の恋文
このエントリにもいささかを記しました。
▼2011年1月9日:横取りされた役
ちょいと引用いたします。
「乱歩の恋文」はとても面白い戯曲でした。乱歩の小説に登場するモチーフはいわずもがな、自伝的エピソードが巧みに利用されている点にまず感心させられました。なかには、まさかそこまでは、と思わされるものもあって、たとえば大正8年、神田の洋書屋で本を買うからと金を無心した乱歩とのやりとりで、妻の隆はこんなせりふを口にします。
隆 何やっとるんですか。あなた。お櫃は空っぽなんやよ!
ポイントはおひつです。お隆さんはお米がなくなるとおひつにしゃもじを放り込み、それを両手で掲げてがらがらやかましく音を立てながら乱歩を責め立てたと平井隆太郎先生のエッセイに記されているのですが、「お櫃は空っぽなんやよ!」というせりふはそのエピソードを連想させるものでした。まさかそこまでは、つまり隆太郎先生のエッセイまでは、とは思われるものの、もしかしたらそこまで読み、そこまで踏まえたうえでの空っぽのおひつなのではないかとも思わされてしまうほど、関連文献の半端ではない読み込みによって乱歩の人物像が肉付けされているという寸法です。乱歩ファンには、どうぞご一読をとお薦めしておきましょう。
このおひつのエピソードを一読して、まさかそこまで、と私は思ったのですが、これは実際には、やはりそこまで、というべきディテールでした。つまり作者の長田育恵さん、平井隆太郎先生のエッセイをお読みになったうえでこのせりふをお書きになったそうで、これはご本人から先日メールで教えていただいたことですから間違いありません。だとしたらやっぱりすごい話で、問題のシーンは隆太郎先生が『新文芸読本 江戸川乱歩』(1992年、河出書房新社)に発表された「父・乱歩のことあれこれ」のこんなくだりです。
祖父の死去と「心理試験」が「新青年」で好評を得たのとがキッカケで、父は大正十五年一月東京に出る。最初の住居は神楽坂の筑土八幡社ちかくの閑静な高台にあった。祖母と父の末娘玉子を加えて家族は五人になった。人口がふえた事もあって始めのうちは生活は楽でなかったらしい。母が空のお櫃を抱えて二階の書斎に駆け上がる姿をしばしば見たものである。空のお櫃はデモンストレーションであろう。
私が記憶に頼って記した「お隆さんはお米がなくなるとおひつにしゃもじを放り込み、それを両手で掲げてがらがらやかましく音を立てながら乱歩を責め立てたと平井隆太郎先生のエッセイに記されている」という文章には微妙な間違いがあり、あ、おしゃもじは出てこなかったのか、とか気がついて人知れず頬を赤らめているところです。なんかもう適当なことばっか口走っててお恥ずかしい限りなのですが、それはそれとしてこうした片々たる記述をも見逃すことなくちゃんと読み込んで巧みに反映させたお芝居ですから、その一点だけでも乱歩ファンの胸を高鳴らせること請け合い。あらためてお薦めする次第です。
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