名張市乱歩関連事業アドバイザーである。
毎度おやかましゅう。
それにしても、お役所ってのはどうしてあんななんだろうな、みたいことは福沢諭吉もゆうておった。
ちょっとした必要があって『学問のすゝめ』(岩波文庫)をぼちぼちと読んでおるところなのだが、一週間前の土曜日、伊賀市川合にある道の駅あやまの食堂でカレーライスを待ちながら「第四編」に眼を通していたところ、こんな記述にぶつかった。
私に在っては智なり、官に在っては愚なり。これを散ずれば明なり、これを集むれば暗なり。政府は衆智者の集まる所にして、一愚人の事を行うものと言うべし。豈怪しまざるを得んや。
つまり、個人としては賢い人でも、お役人として仕事をするとあほになってしまう。
個人として散らばってしまうとお利口なのに、お役所に集まってしまうとおまぬけになってしまう。
お役所ってのは、知恵のある人間が集まって、ばかなことをやるところなのである。
けったいな話だよなあまったく、みたいな。
「第四編」の全文はこちら。
▼学問のすゝめ:学問のすゝめ 四編
諭吉がここに述べているのはこの国の政府レベルのことであって、「政府は衆智者の集まる所にして,一愚人の事を行うものと言うべし」なんてのは現在ただいまのこの国の政府にもそのままあてはまりそうだから面白いのだが、これを全国の地方自治体のレベルに敷衍してもやはりそのまま通用してしまうのではないか。
お役所ってのは、どうしてあんななんだろうな。
諭吉は「気風」のせいだとしている。
諭吉は「気風」を「スピリット」に対応することばとして使用しているのだが、それは長い長い年月をかけてできあがったものだから、急に動かしたり改めたりすることはできず、お役所のひとたちがあんななのも「畢竟その然る由縁は、かの気風なるものに制せられて人々自ら一個の働きを逞しうすること能わざるに由って致すところならん乎」という寸法。
この国には長年月にわたって形成された独特の気風というやつが存在しており、お役所においてもそうした気風に制限されてしまうがゆえに有能な人間もその能力を発揮することができないのじゃ、と諭吉は指摘している。
なるほど、そのとおりかもしれないな、とおれは思う。
むせび泣きながら、そう思う。
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