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平成23・2011年4月21日 読売新聞社
上野城下町絵図を発見 伊賀文化産業協 修復、来春公開へ
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侍屋敷の寸法一目
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屋敷などの寸法が書き込まれた「上野城下町絵図」の入手を喜ぶ福井さん(伊賀上野城で)
伊賀市内の旧家から、藤堂藩絵師による絵図類約100点が見つかり、伊賀上野城を管理する財団法人・伊賀文化産業協会が購入した。絵師の上西宗牧・庄五郎家に伝わっていた伊賀国の絵図や庭の見取り図などで、中でも1715年(正徳5年)頃の上野城下町絵図(横2メートル19、縦1メートル52)は、侍屋敷の四方の寸法が1軒ずつ記入されており、史料価値が高いという。同協会は主な絵図を修復した上で、来年春に一般公開する。
藩が武士に与えた「拝領屋敷」はオレンジ色、武士が自分で建てた「自分屋敷」は水色、町家は黄色、鉄砲組屋敷は薄緑色と塗り分け、各屋敷の縦横のサイズを細かく記入。住人の名前を書いた小さな紙が貼り付けられている。
正徳5年に津から転入した藩士で、作家・江戸川乱歩(本名・平井太郎)の先祖にあたる平井隼人と、1716年(享保元年)に死去した伊賀奉行・安波忠兵衛の名があることから、製作年代もほぼ判明した。同協会は1631年(寛永8年)から1928年(昭和3年)まで、23枚の城下町絵図や地図を所有しているが、正徳年間の絵図は初めて。
同協会専務理事で、昨年5月に資料集「絵図からみた上野城」を刊行した福井健二さん(74)は「同じ時代の上野城下町絵図は名張市教委が所蔵し、同市の文化財になっているが、今回の絵図はそれより保存状態が良く、どの屋敷に誰が住んでいたかがほぼ完璧に分かる」と評価している。
(2011年4月21日 読売新聞)
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