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平成23・2011年3月13日 毎日新聞社
今週の本棚:堀江敏幸・評 『探偵小説の室内』=柏木博・著
堀江敏幸
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(白水社・2520円)
◇仮想空間から照らし出す人物の凹凸
室内、すなわちinteriorには、もうひとつ、心の内側という意味がある。部屋の内部がどのように構成され、モノがいかに配置されているかをつぶさに観察することは、犯罪捜査のプロファイリングを思い浮かべるまでもなく、そこに住まう人物の内側を想像することにつながる。
本書は、限られた空間の内側を読み解くことによって、私たちの内面の凹凸に光を当てようとする試みである。現実の部屋を覗(のぞ)き込むわけではない。書かれた言葉を頼りに仮想空間を立ち上げ、虚構の人物の内側に迫るのだ。つまるところそれは、想像上の室内に入り込んだ人の記憶を再構成するに等しい。
各章のタイトルに掲げられている作品は、漫画一篇を含めた、必ずしも「探偵小説」ばかりではない十五篇。文中に引かれている他の文学作品や映画を加えれば、数はさらに増える。それらを順次束ねて道をひらいていくのは、『パサージュ論』のヴァルター・ベンヤミンである。ベンヤミンが書き残した、一九世紀の都市をめぐるおびただしい断章群は、それじたい架空の記憶再編とその放棄の試みであったし、「私」を消すことによってさらにあやうい「私」を浮かびあがらせるための、手の込んだ仮想空間でもあった。ベンヤミンの言葉の先には、だから、室内と内面が背中合わせになった鏡が置かれているのだ。
その鏡に映じた最初の像は、エドガー・アラン・ポオの『赤死病の仮面』である。千人の舞踏会ができるほどの広さがありながら、全体を見通すことができないという、複雑に入り組んだ七つ続きの部屋のグロテスクなまでの描写は、そのまま主人公が抱えている心の地図と重なっていく。この章で示された「室内の観相学」という視点は、じつは人物造形の手段でもあり、第一部だけでなくそのあとにつづく記述に対する序の役割を果たしている。
たとえば、クロフツの『樽(たる)』では、被害者の夫の部屋の趣味が、二〇世紀初頭の流行より過去に向いていることから、一種の保守性が指摘される。コナン・ドイルの『緋色(ひいろ)の研究』では、いわゆるルームシェアをすることになったホームズとワトソンが、いずれも「気持よく家具も備えてあり、大きな窓が二つあって、明るく風通しのよい大きな」部屋を好み、飾り立てない簡素な装飾の機能性に惹(ひ)かれていることが示されるのだが、それは彼らの推理のスタイルにぴたりと一致しているものだった。
興味深いことに、探偵小説においてこのような「室内の観相学」が生まれた時期と、フロイトの精神分析の登場は、ほぼ軌を一にしている。室内を読み解くことは、そこに住んでいる人間の無意識をたどることでもあるのだろう。だからカフカの『ブルームフェルト、ある中年の独身者』の極端に狭い事務所とがらんとしたアパートは、主人公の閉塞感(へいそくかん)と鬱屈を代弁していることになるし、ポオの『ウイリアム・ウイルソン』に登場する全寮制の学校の造りは、二重人格、もしくはドッペルゲンガーと呼ぶにふさわしい、ねじれた自己を暗示していることになる。
第二部以後で扱われる作品群も、それぞれに異なる光を反射しながら、「室内の観相学」の大枠からは外れていない。江戸川乱歩『悪魔の紋章』の見せ物小屋的なパノラマ。つげ義春『退屈な部屋』の、別人格の誕生を託した空虚。安部公房『鉛の卵』の、室内を必要としない未来人たちの非住居空間。橋本治『巡礼』のゴミ屋敷の混乱と、その対極にある、小川洋子『完璧な病室』の圧倒的な清潔。水村美苗『私小説 from left to right』の、ロング・アイランドの家の消滅。ポオの作品の主人公ウイリアム・ウイルソンはポール・オースターの『シティ・オヴ・グラス』の登場人物に転移して、自我を分散し、一人称を崩壊させ、住んでいた部屋を別の人格に譲り渡す。
室内への注視は同時に、室内を持たない者たちの内面へと私たちを向かわせる。自らを失い、自らを支える基盤がない人間は、路上にさまようしかないのか。特定の居場所に身を置くことのできない者たちの心の内はどうなっているのか。
その点を鮮やかに論じているのが、ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』を扱った章である。女主人公の行動を、部屋や家具との距離の取り方になぞらえることで、隠されてきた内面が浮き彫りにされるのだ。彼女のアパートと収容所の部屋の内部を共鳴させるには、声だけでなく、「室内」が必要だったのである。そこからウイリアム・ギブスンのSF『ニューロマンサー』、マラマッドの『悼む人たち』、マンシェットのフレンチ・ミステリー『眠りなき狙撃者』への流れも、必然だと感じられる。
見晴らしのいい三部構成と、整然としたインテリアのような論旨。こうした隙(すき)のない組み立て方には、当然、書き手自身の内面も反映しているはずだが、はたしてそれはどのようなものだろうか。
毎日新聞 2011年3月13日 東京朝刊
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