きのうのつづきですが、不意の用事に中断を余儀なくされたせいで削がれたような気分をも味わいつつ、きのうの引用「中井英夫さんが生きていたら小躍りして喜んだに違いない。似而非文化人が原水爆反対を唱えていたとき、ひとり中井さんは原水爆賛成だった。人類を滅ぼすかもしれない折角の玩具を棄てるなど以ての外だ、と」につづく段落、すなわち「このようなことは思っていても書かれない。原発で苦しんでいるひとがいらっしゃるからである。掲示板を長く続けてきたが、考えてみると本音を書いたことなどあったかしら、と思う」という文章こそがじつは昨日付エントリの眼目になるはずでした、とつづけます。
たしかに3・11以降、笑いというものをなんとなく自主規制してしまうような心の傾きが自覚され、なにがなしストレスめいたもの、まさに「思っていても書かれない」ことによるぼんやりした鬱屈みたいなものが沈澱しているような気配を感じます。
でもって数日前、朝、犬と散歩しながらそろそろ漫才の台本を練らなくちゃなと思い当たりました。「伊賀百筆」という地域雑誌に寄稿する漫才です。
▼名張まちなかブログ:「伊賀百筆」第二十号発行(2010年12月8日)
この「伊賀百筆」第二十号、発売されるまで知らなかったのですが華房良輔さんの追悼号になっていて、関西地方に長くお住まいの方ならあるいは華房さんの名前をご存じかもしれません。私の場合はもう四十年ほど前のことになるのか遠い昔の高校生時代、「11PM」という番組が平日の夜に放送されていて、火曜日と木曜日は読売テレビの制作で司会は藤本義一さん。そこに便所の落書きの研究家として若き日の華房さんが出演していらっしゃったのをなぜか鮮明に記憶しているのですが、遥かにときが流れて名張市にお住まいになった華房さんが妙な縁から拙宅へおいでくださったとき、あああの便所の落書きを研究していらっしゃった華房さんかとじつに不思議な気分になってそのことをお伝えすると、そんな古いことをどうして知ってるのと華房さんはいたく驚いておられました。
そんなことはともかく、「伊賀百筆」第二十号には漫才一本を寄せることになっていたのですがずるずる先延ばしにしたあげく果たせず、編集部には大変な迷惑をかけてしまいましたので第二十一号では捲土重来を期さなくちゃなとばかりに数日前、犬と散歩しながら台本の構想を練ってみたのですが驚くべし。等身大の私が相方と漫才をくりひろげるというのがいつものパターンなのですが、3・11以降のストレスや鬱屈を一気に吹き払いたいという心の動きが作用したものか、頭のなかにいきなりベクレル&シーベルトという漫才コンビが登場し、その場で銃殺されても仕方ないほど非人間的な内容の漫才を始めてしまったのには驚いてしまいました。あんな漫才、とても発表できるものではありません。とはいえ、なんといえばいいのか、心が多少は軽くなったような。
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