Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2015.07.31,Fri
長沼弘毅はシャーロッキアンとしても名高い大蔵官僚でしたが、乱歩が死去した昭和40年、「中央公論」の9月号に寄せた「鬼の昇天」にこんなことを記しました。
去年の乱歩賞銓衡委員会は。珍しく乱歩邸で行なわれた(参集者 荒正人、木々高太郎、長沼、中島河太郎、大下宇陀児、乱歩)。彼は、歩行も不自由で、顔もやや青ぶくれしており、言語障碍も起こしていて、みるに忍びない姿であったが、夫人に手を取られて、椅子に腰をかけ、言語は、はなはだ不明瞭であったが、候補作品の一部について感想をのべたりした。ぼくは、それに耳を傾けながら、ここに「一匹の鬼がいる」と慄然たる気持に打たれざるを得なかった。
なお、今年の銓衡委員会には、ついに出席できなかったが、その約ひと月前の六月十五日に、代筆で、つぎのような手紙が来た。「また、乱歩賞選考の日が近づきましたが、小生は病気の進行が衰えるというわけにはゆかず、外出は、まったくしないでおります。昨年度は寄稿の一部を読ませてもらいましたが、今年度は原稿を読む気力がありませんので、……数年来のやり方を変えることなく選考委員として御参会くださいますようお願いいたします……」
長沼弘毅は翌年、週刊「エコノミスト」6月7日号の「鬼・乱歩」でもこの手紙を引用し、さらにこうつづけています。
大ざっぱにいえば、これは死の約ひと月前のことではないか。言語も不能、また右の代筆でもわかるように、みずから筆をとることも不能という状態のもとにおかれているのに、こうした折り目正しい手紙をよこす乱歩の執念ともいうべき熱心さに、ぼくは、いまさらながら心打たれるおもいがした。
この手紙、銓衡委員全員に送られたものかと判断されますが、代筆とはいえ、もしかしたら乱歩最後の書簡、ということになるのかもしれません。
本日は以上です。
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