Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2015.07.28,Tue
7月28日となりました。
奇しくもきょう、ハワイのマウイ島でTPPの閣僚会合がスタートし、知的財産権をめぐる協議が進められると伝えられますが、著作権の問題は結局、こんなところで落ち着きそうです。詳細はこちらでどうぞ。
▼毎日新聞:TPP:「著作権」決着へ 「死後70年」と「非親告罪」(2015年7月27日)
乱歩作品は来年1月1日からパブリックドメイン、というわけです。
さて、さすが没後五十年、おなじみの雑誌が乱歩を特集しました。
▼Hayakawa Oniine:ミステリマガジン2015年9月号
▼青土社:『ユリイカ 2015年8月号』
どちらもまだ見たことないんですけど、さっそく購入しなければ。
いっぽう、乱歩生誕地の名張市では、没後五十年といってもほんとになんにもなくて、相変わらずしーんと静まり返ってますけど、きのうあたり、こんなツイートが。
江戸川乱歩の没後50年になるのか。以前、三重県名張市の生家を見に行ったけど、発見できなかった。国道の案内標識の所を曲がったら、後は目印も何もなかった。見逃しただけかも。
— 誰とはイワン30th@奈良市 (@dare_iwan) 2015, 7月 27
見逃したんじゃなくて、目印はなにもありません。
乱歩生誕地碑広場へ自動車でたどりつくのは、かなりの難事です。
というか、自動車の通れない狭い路地沿いにありますから。
1972年に発行された現代推理小説大系1『江戸川乱歩』の月報に角田喜久雄の「乱歩さんの先祖」という随筆が、乱歩生誕地碑の横に立つ角田の写真とともに掲載されているのですが、その結びの段落に四十四年前の乱歩生誕地碑が出てきます。
中島河太郎、山田風太郎、千代有三、日影丈吉、大河内常平、山村正夫などの諸君と一緒に、私は毎年乱歩さんの命日には、多磨墓地にあるその墓に詣でることにしているが、昨年は、前記の若い友人達と吉野から飛鳥にかけて旅行した帰途、乱歩さんの生まれ故郷である三重県の名張市に立寄った。まだ俗化の垢にも余り染まっていない清潔なその小都市は人情もまた厚く、食堂の小娘まで乱歩さんの生誕地をよく知っていて親切に道を教えてくれた。行きついた所に幻影城と刻んだ生誕碑がたっていた。もともと病院の敷地だったらしく、石碑は増築された病棟の間に窮屈そうにたってはいたが、周囲は屑一つなく清掃され、誰の心遣いか碑前には新しい花と供物がそなえてあった。
乱歩生誕地碑に花や供物を捧げる市民もいなくなり、というか、おまえが供えろよ、といわれそうな気もいたしますけど、とにかくわれらが名張市、いまよりずっといい感じのまちだったような印象です。
いやまあ、いまもいいまちではありますから、乱歩ファンのみなさん、一度はぜひお運びください。
廃墟めぐりの興趣も、たっぷりお楽しみいただけるものと思います。
それでは、きょうも一日、いいだけ暑くなりそうですけど、どうぞお元気で。
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