Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2015.07.27,Mon
暑いです。
暑い日がつづきます。乱歩没後五十年の年も、いよいよ乱歩忌の前日となりました。
いやー、もう五十年か。
五十年前の夏、乱歩が世を去ったのか。
いろいろ感慨深いものをおぼえます。
五十年前の乱歩といえば、じつはもう過去の作家で、五十年後にここまでの人気を誇っているであろうとは、当時の誰ひとりとして夢にも思っていませんでした、と思われます。
試みに、乱歩逝去の年の1月、大衆文学を特集した「國文學」の臨時増刊号を引っ張りだして、といってもコピーなんですけど、そこに掲載された乱歩論の冒頭を引いてみましょう。
筆者は久保田芳太郎。
▼Wikipedia:久保田芳太郎
上の記事には没年が記されてませんけど、下のブログ記事によれば「ある時忽然として世を去られた」とのことです。
▼Prof.Rymbow's Photo Diary:久保田芳太郎先生(2010年11月23日)
ともあれ、久保田芳太郎「江戸川乱歩」の冒頭です。
探偵小説家江戸川乱歩と言えば、小説好き、いや少しでも本を読むような人なら誰でも知つている。またスリラー小説ファンにとつて、乱歩という名前は、探偵小説ないし推理小説の創始者として忘れがたいものだろうし、ふかく脳裡に刻み込まれていることであろう。といつて、こう書くぼく自身は、けつして推理小説の忠実なるファンではない。ただ、少年の頃、ひとりひそかに乱歩の探偵小説、たとえば『怪人二十面相』『妖怪博士』とか『孤島の鬼』とかを、胸をどきつかせながら読んだ記憶だけがあり、それ以来今日にいたるまで、ほとんど推理小説というものを読まないでいる。では、なぜ探偵小説ないし推理小説についてズブの素人であるこのぼくが、こともあろうに推理小説の元祖のひとりとして自他ともに認めている江戸川乱歩を論じようとしているのか。それはほかでもない、少年の頃どうして江戸川乱歩の小説に魅せられたかという理由を、ここでひとつ解明してみようと思つたからだ。
そういうわけで、江戸川乱歩論を書く必要上乱歩の著作を読もうかと思い、推理小説好きの知人に借りようとしたところ、あいにく乱歩の本を持つている人もいなかつた。そこで本を求めようと神田の古本屋を気軽くあさつてみた。が、意外と乱歩の著書は少く、やつと某書店で数年前に発行された桃源社版『江戸川乱歩全集』全十八巻を買つたしだいであつた。以上のように、現在乱歩の著作がもはや発行されていないということは、かれはすでに現役作家ではなくて古典作家だということを物語つているのであろう。
ところが、乱歩作品はいまでもばりばりの現役なんですから、ほんとに驚いてしまいます。
ところで、いま気がつきましたけど、この久保田芳太郎による文章が、乱歩生前最後の乱歩論、ということになるみたいです。
▼名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和40年●1965
いやー、なんかもう、万感こもごも、ひしひしと胸に迫ってまいります。
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