Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2015.05.02,Sat
たまには乱歩も話題にしなくっちゃ、というわけで、奇譚コースです。
▼2015年2月26日:奇譚から探偵趣味へ▼2015年3月01日:語り手の秘密ならびに海彼の黄金時代
▼2015年4月10日:二銭銅貨の謎と秘密
乱歩が黄金時代の英米本格長篇に開眼した昭和7年前後のあれこれを、ざっとあとづけておきたいと思います。
昭和6年(1931)
9月、博文館が「探偵小説」を創刊。
クイーン(米)、「オランダ靴の秘密」を発表。
クロフツ(英)、「英仏海峡の謎」を発表。
昭和7年(1932)
1月、「探偵小説」にクロフツ「樽」掲載。
3月、正史、「文芸倶楽部」の編集から退き、「探偵小説」に移る。
4月、「探偵小説」にクイーン「阿蘭陀靴の秘密」連載開始。
6月、「探偵小説」にメイスン「矢の家」掲載。
7月、「探偵小説」にベントリー「生ける死美人(トレント最後の事件)」掲載。
8月、「探偵小説」にミルン「赤屋敷殺人事件」掲載し、廃刊。
11月、正史、博文館を退社。
昭和8年(1933)
1月、乱歩、名古屋の井上良夫との文通を開始。
2月、乱歩、『赤毛のレドメイン家』を原書で読む。
9月、乱歩、『日本探偵小説傑作集』を編纂し、巻頭に「日本の探偵小説」を執筆。
11月、乱歩、「ぷろふいる」の「鬼の言葉」第三回に「定義試案」「探偵小説の四形式」「広義の探偵小説」を発表。
11月、正史、世界探偵傑作叢書のクロフツ『英海峡の怪奇』を読む。
「探偵小説」誌上で「矢の家」「トレント最後の事件」「赤い家の秘密」を矢継ぎ早に紹介した正史は、
「それからまもなく乱歩さんに会うと、あんな面白いものがあるなら、なぜもっとはやく紹介しなかったのだと、叱られたのを憶えている」
ということになりますが、昭和9年には結核の転地療養で上諏訪に住まいを移し、おりから東京では英米の本格探偵小説が続々と翻訳出版されはじめたため、
「私はそのころ、英米探偵文壇ではいまや、百花繚乱として謎と論理の本格探偵小説が咲き匂っていることを知り、大いに刺激されざるをえなかった」
と回想しています。
正史は探偵小説の本質をよく理解できていたひとですから、「謎と論理の本格探偵小説」をすんなり受け容れているわけですが、乱歩には探偵小説をちょっと見誤っていたようなところがありましたので、昭和8年5月になっても、というのは、英米の本格長篇に開眼したあとにも、という意味ですが、「『謎』以上のもの」を書き、あるいは、昭和7年2月の段階でも、ヴァン・ダインやクロフツの作品を引き合いに、「トリックを超越して」を書いていました。
「トリックを超越して」の結び。
我々は一方ではトリックを軽蔑しながら、しかもトリックにこだわり過ぎていた。探偵小説である以上、全然トリックを無視する訳には行かぬ。併し、単なる思いつきで探偵小説を書く時代は過去った。我々はトリック以上の要素に重点を置くべきではないか。トリックは古めかしくとも、なお充分精神をうち込み得るが如き探偵小説を創り出すべきではないか。つまり我々はトリックを超越しなくてはならないのではないか。
今、私は斯様に感じている。そして、うつろい易く弱気な私の心を鞭うっている。私は探偵小説を書かなければならぬ。今一度、懐しきこの雑誌の読者諸君と懇親を結ばねばならぬと。
「この雑誌」とは、いうまでもなく「新青年」です。
つづいて、「『謎』以上のもの」の結び。
私は無論、本来の探偵小説が「謎」の文学であることを否定しようとするものではない。ただ「謎」であると同時に、「謎」以上に文学であることを要求するのだ。その上、探偵小説を行詰らせるものが、上述の如く「謎」の要素にあるとするならば、猶更謎にのみこだわることを止めて、謎そのものの新しさ古さにはかかわりなく、十分情熱を打込み得るが如き、或は存在を主張し得るが如き「文学」に向って精進すべきではないか。
一般に探偵小説と呼ばれている所のものが、斯様な「謎」の文学以外にも、広い分野を持つことはいうまでもない。そして、私はそれらの凡てにほとんど差別なく関心を有するものであるが、ここにはただ、本来の探偵小説だけについて所感を述べるにとどめた。
乱歩は、
「探偵小説は謎の文学であって、『謎』ではない。寧ろ謎以上に文学でなければならない。探偵小説が謎々や手品やクロス・ワードでないことは誰でも知っているはずだ」
とも主張していますが、乱歩が作家としてとても生真面目なひとであったことはよくわかりますが、このものわかりの悪さはなんなんだろうな、という気もします。
その点、正史はじつにものわかりがよくて、そうか、謎と論理か、とすぐにピンときて、クイーンの「エジプト十字架の秘密」にヒントを得た「真珠郎」を書きあげ、「謎と論理の本格探偵小説としては、はなはだお粗末なもので、私の幼時からもっているおどろおどろしき怪奇趣味だけが、いやに浮きあがった作品になってしまった」と謙遜してはいるものの、中島河太郎先生によれば、それまでの「作風にのっとりながら、同時に本格的骨格を有する作品を意図」した「真珠郎」は、「いわば善美を尽くした料理」であり、「戦前の著者の作風を集大成した代表作」であるということになります。
英米の本格探偵小説に開眼しながら、正史のようにためらいなく謎と論理の本格作品に歩を進めることができず、乱歩は探偵小説に謎以上のもの、トリックを超越するものを求めていた、というわけです。
この項、つづきます。
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