Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2015.04.29,Wed
鬼火コースです。
おかげさまで藍峯舎版『鬼火 オリジナル完全版』の解説、第一校が校了となりました。本文のほうの進み具合は、私にはまったくわかりません。
2ちゃんねるの横溝正史スレでも、軽く話題にしていただいております。
▼【金字塔】横溝正史 Part2 [転載禁止]©2ch.net:54-55
こぼれ話イラスト篇に突入する予定でいたのですが、しつこくもテキスト篇をもうひとたび。
1975年6月22日、講談社から発行された新版横溝正史全集2『白蠟変化』巻末の中島河太郎先生による「解説」から、「鬼火」のパートを引いておきます。
「鬼火」は昭和十年二月と三月の「新青年」に、分載された。当時の新聞広告には「雌伏一年有半」とあるが、大患後再起の第一作であった。これの発表されたとき、私は旧制の中学生だったが、読後の興奮は今なお思い出せるほどである。
諏訪に病を養ったことのある著者が、散歩の途次、岬の突端にあるアトリエに踏みこんで、奇怪な画題のカンヴァスに惹かれる。それからその画にまつわる話を、俳諧の宗匠に聞かせて貰うという構成は、いかにも見聞談らしい現実感を具えているが、谷崎の「春琴抄」の手法を想起させる。
谷崎といえば、その翻訳したトマス・ハーディの「グリーブ家のバーバラの話」も、本篇とゆかりがないわけではない。名門の令嬢バーバラが、ただ美貌というだけで家柄も財産も教養もない男と駈け落したあと、やむなく結婚を承諾した彼女の両親は、男に名門の婿にふさわしい教養をつけさせようと旅をさせる。ところが男は劇場の火事に遇って、二目と見られぬ醜い顔になって戻ってきた。彼はそれを恥じて絹のマスクをつけていたが、彼女がどんな顔になっていても驚かぬというので、マスクをとってみせると、あまりのむごさに失神するという場面があるが、これなどは鉄道事故から生命だけはとりとめて帰還した万造がゴムのマスクをつけ、お銀が求めて仮面をとってもらい、ギャッと叫んだのと相通じている。
著者が部分的に先人の趣向を借りているにせよ、「深讐綿々」たる憎悪の淵源を従兄弟同士の競争心に由来することを説いたのは賢明であった。単に佳人を争うだけの恨みなら陳腐だが、殊に田舎の切っても切れぬ血縁のライバル意識ほど熾烈なものはないだろう。本人ばかりでなく周囲の状況も、それを煽りたてかねないほどであろうから、生活をかけての憎悪相剋が至極肯けるように工夫されているのである。
著者はさすがに愛憎と復讐の因果譚だけに終始したくなかったと見えて、もっとも事情を知悉している話者の宗匠について、最後にその身許を明かしている。それだけならいいが、話者は「何物にも換え難いほど、深く深く代助を愛していた」といい、「ほんとうの兄弟も及ばぬ程の、強い、深い愛情が私たちを結びつけていた」というなら、もっとこの生命を削る両人の闘争の間に顔を出さなければならぬはずだが、それには一言も触れてないのは、もの足らぬといえぬことはない。
とにかく著者は一人の女性を挟んで、徹底した分身憎悪を抉ることに専心したが、そのためには元モデル女のお銀の存在が潑剌としている。それに美文調の自然描写が、説話体の効果をあげることも考慮されていて、中期を代表する佳作といえよう。ただ発表当時はその描写が当局の忌諱に触れ削除を命じられた箇所がある。著者は単行本に収めるに際して、適宜改訂したが、四十四年に無削除版の雑誌が見つかったので、ここでは発表当時のままに戻して収録した。
中島河太郎先生の作品解説はたしかにこんな調子であった、と懐かしく思いましたが、中島先生が「鬼火」への影響を指摘していらっしゃるハーディの「グリーブ家のバーバラの話」は岩波文庫でお読みいただけます。
▼岩波書店:ハーディ短篇集
それでは、この次こそ、鬼火こぼれ話のイラスト篇でお目にかかりたいと思います。
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