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Posted by 中 相作 - 2014.12.17,Wed
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平成26・2014年12月15日 読売新聞社
江戸川乱歩「着色映画の夢というものが…」
鵜飼哲夫、青木久雄(写真)
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江戸川乱歩「着色映画の夢というものが…」
鵜飼哲夫、青木久雄(写真)
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江戸川乱歩「着色映画の夢というものが…」
2014年12月15日 10時03分
妖しく開く「よるの夢」
着色映画の夢というものがあるのであろうか(「押絵 と旅する男」より)
江戸川乱歩が少年時に住んでいた近くの通りに、端麗な青色LEDの街灯がともる。年の瀬の街に、家路を急ぐ靴音が響いていた(名古屋市中区で)
日本の推理小説の祖、江戸川乱歩は、色紙に揮毫 を求められると、こう書くのを習わしにしていた。
「うつし世は夢、よるの夢こそまこと」
世にも美しい娘の姿をした押絵に恋い焦がれた男が、ついには魔界の住人となるまでを描く「押絵と旅する男」は、この「よるの夢こそまこと」を代表する小説。蜘蛛 男の見世物 、娘剣舞や浅草十二階など、関東大震災前の妖しさ漂う浅草を舞台にした作品を、乱歩は後年、「短篇 のうちで最も気に入っている」と書いている。
とはいえ、作品を最初に書いた頃の乱歩は、「うつし世」で、あえいでいた。生来の探偵小説好きがこうじて大正12年(1923年)、「新青年」に発表した「二銭銅貨」で28歳でデビュー。名探偵、明智小五郎が初登場する「D坂の殺人事件」や「屋根裏の散歩者」「人間椅子」など変態怪奇な作風で注目されるが、作品への羞恥と、人間関係にも疲れ、昭和2年(27年)3月に休筆宣言、旅に出てしまう。
富山県の魚津で見た蜃気楼 が、夜の夢をかきたて、「押絵」の初稿を書いたが、隠し持ったまま発表しない。しびれを切らした「新青年」編集長の横溝正史は同年暮れ、旅先の名古屋まで追いかけ、原稿を催促するが、同宿した大須ホテルでの乱歩の返答は驚くべきものだった。
動画は写真をクリック
「あまり自信がないから、出しかねて、今便所の中へ捨ててきた」
乱歩研究者で、金城学院大教授の小松史生 子 さんによると、「乱歩は、とても不器用だった」。大卒後、造船所事務員、古本屋、ラーメン屋など職を転々とした。〈夜の妄想では大胆不敵のくせに、昼間の世界になると、忽 ちしおれ返ってしまう性格〉だけに、どの仕事も続かない。ただ、「夜の妄想」と推理小説だけは愚直なまでに好きで、好きなだけに、自らの作品への評価は厳しかった。
大評判を呼んだ「陰獣」で1年半ぶりにカムバックした乱歩は、再び「新青年」からの矢のような催促で、古い作品を、「苦しまぎれに蒸し返して執筆した」。それが「押絵」である。その原型がいかなるものだったかは、日本のミステリー界の謎だ。(文・鵜飼哲夫 写真・青木久雄)
江戸川乱歩
1894~1965年。三重県名張市生まれ。本名は平井太郎。旧制愛知五中(現瑞陵高校)、早稲田大学を卒業後、職を転々とし1923年、「二銭銅貨」でデビュー。以降、「算盤 が恋を語る話」「パノラマ島奇談」「芋虫」などを発表。36年、少年向け読み物「怪人二十面相」が評判となり、明智小五郎と少年探偵団が活躍する「少年探偵」シリーズとなった。「押絵と旅する男」は、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」第5巻などで読める。54年に江戸川乱歩賞を制定し、日本推理作家協会初代会長を務めた。
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