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Posted by 中 相作 - 2014.10.20,Mon
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平成26・2014年10月12日 毎日新聞社
江戸川乱歩:大阪毎日新聞三重面に寄稿 鳥羽を遊覧地に 観光協専務理事「志摩の魅力、端的に記す」 /三重
林一茂
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平成26・2014年10月12日 毎日新聞社
江戸川乱歩:大阪毎日新聞三重面に寄稿 鳥羽を遊覧地に 観光協専務理事「志摩の魅力、端的に記す」 /三重
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江戸川乱歩:大阪毎日新聞三重面に寄稿 鳥羽を遊覧地に 観光協専務理事「志摩の魅力、端的に記す」 /三重
三重出身で探偵小説の先駆者・江戸川乱歩(1894~1965年)が、大阪毎日新聞(現毎日新聞)の昭和4(1929)年1月12日付三重面に寄稿した「故郷へ呼びかける」が再び注目を浴びている。青年期の一時期鳥羽に居住した乱歩は、鳥羽を「志摩のうちで最も感銘が深い」とし、勤務した造船所跡を「以前のやうに遊覧地にしたらと今でも思つてゐる」と提案するなど、今日の観光地...
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<江戸川乱歩>大阪毎日新聞三重面に寄稿 鳥羽を遊覧地に 観光協専務理事「志摩の魅力、端的に記す」 /三重
2014年10月18日(土)12:12
毎日新聞
三重出身で探偵小説の先駆者・江戸川乱歩(1894~1965年)が、大阪毎日新聞(現毎日新聞)の昭和4(1929)年1月12日付三重面に寄稿した「故郷へ呼びかける」が再び注目を浴びている。青年期の一時期鳥羽に居住した乱歩は、鳥羽を「志摩のうちで最も感銘が深い」とし、勤務した造船所跡を「以前のやうに遊覧地にしたらと今でも思つてゐる」と提案するなど、今日の観光地・鳥羽を示唆した寄稿文となっている。【林一茂】
乱歩は大正6(1917)年から同8(19)年にかけ、鳥羽市の鈴木商店鳥羽造船所に勤めた。わずか1年3カ月だったが、民俗研究家の岩田準一(1900~45年)と親交を結び、妻の隆(りゅう)と出会った思い出の地だ。後に発表された小説「パノラマ島奇談」は、「同じM県に住んでいる」の書き出しで始まり、鳥羽の神島を舞台にしたとされる。
寄稿文は、乱歩が自身に関する新聞記事や転居、出版などに関する記録、写真などをスクラップした「貼雑(はりまぜ)年譜」(東京創元社完全復刻版)に収録されていた。同年譜は、第二次大戦に伴う創作活動の休止期間中にまとめたもので、寄稿文の脇には「岩田(準一)君ガ送ッテクレタモノ」との書き込みがある。
大見出しに「忘れ得られぬ美しい鳥羽の印象」、脇見出しに「ぜひあの地を遊覧地にしたい」が立つ。生涯に46回転居を繰り返した乱歩は、「この鳥羽は松島以上の風光に富み気候も良く実に平和な所」と懐かしむ。
「造船所が出来たのでお流れとなつたことがある」という遊覧地計画について、乱歩は「造船所も今はなくなつたから再びやり初めたらいゝに違ひない」と提案。寄稿文を「伊勢は神宮さまがあるといふので京都奈良に次ぐクラシカルな感じがするが南国だけに明るい感じがする」と結んでいる。
鳥羽造船所は明治8(1875)年に、旧鳥羽城跡で現在の城山公園の東側にドックを造ったのが始まり。大正年間に入り鈴木商店が経営参加し、最盛期は数千人の社員がいた。昭和2(1927)年に金融恐慌で鈴木商店が倒産し、その後造船所は縮小、閉鎖された。
鳥羽市観光協会の世古晃文専務理事(45)は「遊覧地で鳥羽を活気付けようとした乱歩の先見の明に感服する。寄稿文は伊勢志摩の魅力を端的に記しており、時代は違うが『観光地としてどう発展するか』を探る上で示唆に富む」と話している。
〔三重版〕
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