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Posted by 中 相作 - 2014.07.31,Thu
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 平成26・2014年7月17日 ウェッジ

理科系から文転し、仏教学を科学的に立証する 佐々木閑氏 (花園大学文学部教授)
 中田正則
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理科系から文転し、
仏教学を科学的に立証する


佐々木閑氏 (花園大学文学部教授)

2014年07月17日(Thu)  中田正則 (フリーライター)

――佐々木先生は、原始仏教の研究で知られていますが、子どもの頃はどのような本を読んでおられたのでしょうか?

佐々木閑氏(以下、佐々木氏):私は福井県の三国町(現坂井市)という小さな町の出身で、その中でもさらに奥まった場所に家があったので、本屋は近所にはありませんでした。



佐々木閑氏(撮影:書籍部)

 でもクリスマスなどに、必ず両親が本を買ってくれたので、それがとても楽しみでした。例えば、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズなどは、クリスマスのたびに1冊ずつ買ってくれました。

 クリスマス近くになると、プレゼント用の本が当日まで私にわからないようにと箪笥の上に載せてあるのが見えるわけです。でも私は知らないふりをして、それでタイトルだけを見て、今度はどんなストーリーの本だろうかとワクワクしながら1週間くらい過ごしたりしていましたね(笑)。

 そんなふうに両親に買ってもらった本の中でも特にすばらしいと思うのが、講談社から出ていた『少年少女世界文学全集』です。これは私がまだ文字が読めない幼少時に、いずれ読むときのためにといって、50巻全巻揃えて家の書棚に並べてありました。

 別にこれを読みなさいと言われたこともないのですが、そのうち本を読む習慣がついてくると、自然と手が伸びて、それで読み出したらもう止まりません。次から次へとむさぼるように読みました。

 最近気づいたのですが、この全集が格別優れていると思うのは、安易な省略やごまかしがないこと。子ども向けといえども、数々の専門家が力を結集してしっかりとした翻訳をしている。今の時代も、ぜひこういう本を出版して欲しいですね。

理科系から文転し、仏教学を科学的に立証する

――その頃読んだなかで、特に印象に残っている作品はありますか?

佐々木氏:この全集の中で最も忘れがたいのが、小学校の3~4年生の頃に読んだ『日向が丘の少女』(ビョルンソン著)。非常に牧歌的な日常の中で、少年と少女がほのかな恋心をもちながら成長していくというノルウェーの話です。淡々としていて、これといったドラマチックな出来事が起こるわけでもないのですが、それが子ども心には大変響くんですね。こういう平穏な中のドラマのようなものが、実はおもしろいということを、この小説で初めて知りました。



 また、同じ頃に読んだのが、『世界名作推理小説体系』(東京創元社)という推理小説全集。こちらは多分父親が自分の趣味で買っていたのでしょうが、少年探偵団とか子供向けの怪盗ルパンやシャーロック・ホームズなどと同じ類のものが本棚にあるじゃないか、と気づいたわけです。

 読み始めたら、ハードボイルドとか、悪人が主人公の小説とか、それまで読んだことのないものばかりで、大人の世界を覗いて見たような感覚があって、すっかり虜になりました。

 中でも印象に残っているのが、『ロシアから愛をこめて』(イアン・フレミング著)。007ですね。ちょうどこの頃に007シリーズの映画が始まり、父親に映画館へ連れて行ってもらったのですが、この作品は映画館では観ていませんでした。これを本で読んでみると、ソ連のKGBの女スパイとジェームズ・ボンドが騙し合いをしながら、だんだん惹かれあっていくというお色気いっぱいのもので、「これはおもしろいわ」と思ったわけです(笑)。

理科系から文転し、仏教学を科学的に立証する

――ご両親は、色々なジャンルの本を揃えて、気がついたときにはいつでも好きな本が読めるような環境をつくって下さったわけですね。

佐々木氏:両親がどこまで意識していたかはわかりませんが、とにかく周りに本を置いておこうということだったと思います。子供が興味を持つ方向に自然に誘導していくという両親の教育方針は、私にとって大変ありがたいことでした。おかげで知らないうちに世界が広がっていきました。

 最近はそういうことを実現しにくい時代になっていますが、本当は、不必要なものがいっぱい周りにあるという環境は、人、とりわけ子どもにとっては望ましいことだと思うのです。

 だから私も自分の子どもにはそういう教育をしました。いろんなものを置いておいて、手を伸ばしたら、それに繋がるようなものを追加して置いておく。例えば二番目の子どもは、小さいときから数が書いてある本が好きで、すぐに手を伸ばしていました。この子は数字が好きなんだと思って、それから数学の本をどんどん与えていったら、今は数学の研究をしています。

 そうした、子どもの可能性を育む環境を用意してくれた両親に大変感謝しています。

――当初は理科系に進まれて化学者を目指されたそうですが、子ども時代からそういう方面の興味もお持ちだったのですか?



佐々木氏: それは『科学図鑑』との出会いがきっかけです。小学校低学年のときの担任の先生は、毎日私たちに詩を書かせたのですが、母が私が書いた詩を全国規模の詩のコンクールに出してくれましてね。5年生のときにはそのコンクールで最優秀賞をいただきました。その賞品の一つが、20巻以上ある全巻カラーの百科事典『科学図鑑』だったのです。

 この本は湯川秀樹さんの監修で、物理、化学、生物はもちろん、最先端の科学技術や匠の技まで載っている。その中で私が最も魅かれたのが化学で、実験がしたくてしょうがない。それで両親に頼んで実験器具を買ってもらい、ガラス瓶入りの薬品と一緒に並べたときは嬉しかったですね。もう、化学者になった気分でした(笑)。

 その後中学・高校と進んで、はっきり化学者を志すようになり、それ以外の道はまったく考えませんでした。実家は寺なので、父親はお坊さんに、なんて言っていましたが、気にも留めていませんでした。

理科系から文転し、仏教学を科学的に立証する

――中学・高校時代は、どのような読書をされていたのでしょうか?

佐々木氏:目指す道が決まってくると、今度は逆にそれ以外のものにも興味が出てきましてね。よくありますよね、仕事が忙しくなるとほかのことがやりたくなる(笑)。

 特に受験勉強で数学をやらされると、数学以外のことがやりたくてしかたない。そんなときに、たまたま好きな女性アイドルがテレビドラマの「伊豆の踊子」で主演していたことがきっかけで、原作を実際に読んでみたわけです。

 そうしたら、“心温まらない名作”というか、非常に自分勝手な、独特の感覚が現れたおもしろい小説だと思いました。それで、たちまち大人の文学の世界に取りこまれたのです。小遣いをほとんどを川端康成の文庫本につぎ込み、そのうち他の作家の、いわゆる耽美的な作品も好きになりました。もちろん谷崎(潤一郎)とか三島(由紀夫)もいいけれども、やはり今でも一番は川端康成で、中でも『雪国』(角川文庫ほか)が好きですね。

 同じ頃によく読んだのが、『ナヴァロンの要塞』(アリステア・マクリーン著)です。イギリスの伝統的な海洋冒険小説の流れで、洗練された英国文化が感じられる作品です。読んでおもしろいし、この作家の書いたものは、次々と映画化されて話題になっており、映画の方も全部観ています。私は高校のときには、完全な映画少年になっていて、映画館に入り浸っていました。そういう映画の魅力も思い出させてくれる本ですね。

――その後、文系に移られたきっかけは何だったのでしょう?

佐々木氏:それは結局、私があまりにも化学に向いていなかったということですね。

 実際に大学の研究室に入って、化学の本格的な研究に携わるようになって初めて気づいたのですが、私はとても不器用だし、本来文科系的な人間だと自覚したのです。

 それで高価なガラス製の実験器具を次々と割ってしまう。化学者は壊したら自分で修理するのも身につけているべき大事な素養の一つなんですが、そんなことも全然知りませんでしたから、「割れました」と言って指導教官の先生のところへ持って行き、怒られたものです(笑)。

理科系から文転し、仏教学を科学的に立証する

 そんなこともあって挫折して、文学部仏教学専攻へ移ったのですが、そこも精鋭揃いだった。大変苦労しましたけれども、振り返ってみれば、そうしたさまざまな経験の全てが積み重なって、現在に繋がっているのです。だから挫折する、ということはその人にとってとても良いことだというのが私の持論です。

 いろいろ辛い事があっても、その結果やり遂げた仕事は、死んだあとまで残っていく。途中のプロセスはどうあれ、あとで振り返った時に「これでよかった」と満足できれば、それが一番の幸せなのだということを、様々な科学者の人生について書かれた本を通じて知りましたが、それは私にとって大きな励みになりました。偶然提示された色々なものの中から、その時々で一番良いと思った選択をしてきて、全体として最良の形で人生を歩んできたのだ、というのが実感です。

――現在のご研究の醍醐味というのは、どういうところにあるのでしょうか?

佐々木氏:理科系から文科系に移りましたが、研究の手法は絶対に科学的な方法を取りたいと考えています。残されている膨大な文献情報を正しく判断して組み合わせることによって、その情報の奥にある歴史的な事実を解明するということですね。

 研究を進めていくと、あるとき「ああ、そうだったのか」と閃く瞬間があります。それまで数年間一つひとつ繫いできたバラバラの情報が、全部矛盾なくまとまって結晶化して、「なるほどすべてがこれでいける」ということがわかるのです。それは小さなレベルで起こる場合もあるし、非常に大きな問題が解ける場合もあります。

 私自身は、その大きな瞬間を2度経験しています。そういう瞬間を経験できたことは一生の喜びですね。いずれも30代でしたが、もう1~2回は経験したいなと思っています。

 科学はあらかじめわかっている目標に向かって研究を進めるわけではなく、地道な積み重ねの結果、ある時思いも寄らない発見や閃きが起きます。そういう科学を私も応援したいし、科学とはそうあるべきだと考えています。

――今後のご研究の大きなテーマや方向性について教えていただけますか。

佐々木氏:今言った大きな問題が解けたという経験の一つは大乗仏教の起源にかんすることですが、30代の終わりで経験したもう一つの発見を完成させるための研究を、現在も続けています。

理科系から文転し、仏教学を科学的に立証する

 具体的に言うと、仏教の「律」と呼ばれる、修行僧たちの共同体を運営する戒律にかんする膨大な文献が、従来はひとつの固まりであると思われていました。しかしそれらは実は幾重にも重なった玉ねぎのような層を成しており、それを解きほぐすための糸口が見つかったのですが、現在は言わばその玉ねぎの皮を剥いている最中であると言えます。

 その皮を一枚一枚剥いていくと、最後に出てくるのが最も古い、仏教の最初期の姿であるということになります。このことを理論的に証明すると同時に、それが正しいかどうかを別の切り口からも検証してみる。要は仏教文献学の中で、初めて科学的な検証作業を含めた理論を使って、文献を分解し、成立過程を明らかにするというのが夢です。これにはあと10年くらいかかるのではないかと思います。

 それから、もしこれが正しければ、最後に出てくる玉ねぎの芯は、釈迦の時代にいちばん近いということになりますから、仏教は一体どういうプロセスで今の形になったのかという歴史の再構築ができる。同時に“釈迦は何を言ったのか”という本当の仏教の起源がわかると思うのです。これは本当の夢ですけどね。

――貴重なお話をお聞かせいただきまして、どうもありがとうございました。

佐々木閑(ささき・しずか)
1956年生まれ。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学、米国カリフォルニア大学バークレー校留学。現在、花園大学文学部仏教学科教授。文学博士。
1992年、日本印度学仏教学会賞。2003年、鈴木学術財団特別賞受賞。主な著書に『出家とは何か』、『インド仏教変移論』(大蔵出版)、『科学するブッダ 犀の角たち』(角川ソフィア文庫)、『日々是修行』(ちくま新書)、共著に『生物学者と仏教学者 七つの対論』(ウェッジ)、訳書に『大乗仏教概論』(鈴木大拙著 佐々木閑訳岩波書店)がある。
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