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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2010.12.21,Tue
 横溝正史と江戸川乱歩(3)
 
 乱歩作品の続篇と銘打った「双生児」に、正史はどんな企図を秘めたのでしょう。石上三登志さんは『名探偵たちのユートピア──黄金期・探偵小説の役割』(2007年、東京創元社)の「14 横溝正史の不思議な生活」に、編集者だった正史が「乱歩へのケア」として、「『双生児』のように、同じ題名題材で自らも書き、ハッパをかける」ことを試みたと記しています。つまり、乱歩をおだて、督励する手段のひとつとして「双生児」を発表したというわけです。しかし、そう考えることにはかなりの無理があるようです。
 
 すでに「新青年」を離れ、「文芸倶楽部」の編集部にいた正史が、「新青年」の昭和4年2月増刊号に「双生児」を発表してみたところで、それが乱歩に「ハッパをかける」ことになったのかどうか。それにそもそも、当時の乱歩はそんなものを必要としない状態にあったと思われます。前年の「新青年」10月号で「陰獣」が完結し、探偵小説ファンの絶讚を一身に集めながらカムバックに成功した乱歩は、年明けの昭和4年1月には「新青年」に「芋虫」を発表、「朝日」の創刊号では「孤島の鬼」の連載をスタートさせていて、おだてや督励の必要などまったくない時期にいたといえます。
 
 自作と同じ題名と題材で書かれた作品が乱歩を喜ばせたのかどうか、その点もおおいに疑問です。そうした行為は嫌味や皮肉、いやがらせに通じがちなはずで、乱歩はむしろ不快感をおぼえたのではないかと考えられますが、いずれにせよ乱歩は、正史が「双生児」という作品を自作の続篇として発表したことにいっさい言及しておらず、それはなにやら不気味な沈黙であり黙殺であるという印象を抱かせます。
 
 名アンソロジストとしても名を馳せた鮎川哲也は、『怪奇探偵小説集 続々』(1976年、双葉社)の巻頭に乱歩と正史の「双生児」を並べて収録し、見識とウィットを示しました。巻末の「解説」では、正史の「双生児」についてこう述べています。
 
 江戸川乱歩氏の《双生児》では、入れ替わった弟が細君に少しも怪しまれずに結婚生活をつづけたことになっているのだが、本篇の作者はそこに疑問を感じたのではないだろうか。夫に密着していた妻である以上、外形は夫にそっくりであってもなにかにつけ違和感を覚え、怪しみだすのが自然だ。江戸川氏も作中でしるしているように、特に閨房において発覚する公算が大きいはずである。作者はそこに焦点をあて、疑惑を抱いた妻に視点をおいて、物語をふくらませていった。
 
 鮎川哲也が見て取ったとおり、正史の「双生児」には乱歩の「双生児」に対する冷ややかな批判が感じられます。ふたごの兄になりすました弟が、気づかれることなく兄の妻と夫婦生活を送れるものかどうか。正史はそうした疑問を際立たせることで、乱歩の「双生児」に静かで内密な批判を加えています。兄と弟に兄の妻を加えた三人の関係を素材にしながら、正体をめぐる謎という探偵小説本来の妙味を追求しようとせず、作品を怪奇小説や恐怖小説の領域に押しやってしまった乱歩への批判もまた、そこに読み取ることができるでしょう。
 
 乱歩の「双生児」には、せっかくの題材をうまく生かしきれていない憾みがある。だから、同じ主題に別の展開を与えて、探偵小説らしい面白さを表現してみた。正史は「双生児」という短篇に、そういった企図を秘めていたように見えます。いや、企図というなら、批判することそのものが狙いだったのかもしれません。乱歩の「双生児」を批判するために、正史は「双生児」という一篇を書いたのではないか。そんな疑問が生じてきます。そして、ほかならぬ乱歩にそれをはっきり伝えるために、作品の冒頭に「A sequel to the story of same subject by Mr. Rampo Edogawa」という英文を配したのではなかったか。
 
 つづく。
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