Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2013.10.29,Tue
すでにお察しのことと思いますが、このところ時間さえあれば『奇譚』とにらめっこする明け暮れ、眼はしょぼしょぼするわ腰は痛くなるわ二日酔いだわ、それでも手書きの文字を追いキーボードを叩きつづけて妙に機嫌がいいんですから不思議なものです。
奇譚ジャンキーとお呼びください。
それにしても、とくに眼が疲れて困ります。
文庫本に印刷された写真から文章を読み取るんですから、かなり近づかないと判読できません。
しかし、ただ近づけばいい、ってものでもありません。
世の中には老眼という冷酷な問題が厳然と存在していて、なんやもう泣けてきまっせ奥さん。
ですから、作業中の机はこんな感じになります。
厚めの辞書を二冊積みあげ、そのうえにファイルホルダーを立てて『奇譚/獏の言葉』を据えつけ、さらには先日近所の百円ショップで買ってきた天眼鏡を用意して、粛然と作業に勤しんでおります。
粛然と、と申しますか、YouTubeで「剣客商売」なんかみながらやってるんですけど。
とうとう「剣客商売」はすべて消化してしまい、「鬼平犯科帳」に移行してこんにちを迎えました。
それにしても奥さん、山中貞雄の「人情紙風船」がYouTubeでみられるようになっとるんですから、正味びっくりしまっせ奥さん。
さて、『奇譚』の件ですが、私もこんなばかみたいになって内容を公開する作業に勤しむつもりはなく、ただ序文だけを公開して『奇譚』一冊がいかに興味深いものであるかをお知らせするだけでいいと思ってはいたんですけど、ただ寝転がって読んでるだけでは視線がうわすべりして内容が頭に入ってこず、というのも、眼で読んでるぶんには判読しにくいところ、英文、難しい漢字、みたいなものはどうしてもすっ飛ばしてしまいますから、にらめっこしながらタイピングして、ようやくふつうに読み進められるという寸法です。
読み進めてみますとと、やはりいろいろと発見があり、乱歩の初心とでも呼ぶべきものにふれられるのもうれしく、つい嬉々として深みにはまってしまった次第なのですが、えへん、ここにひとつ、鼻高々で新たな発見を書きつけておきたいと思います。
『奇譚』の第三編「ボーその他」の第九章「続ポー」の第三節「神秘的作品」の「アルンハイムの地所」に、こんなことが記されています。
嘗ッテ谷崎(兄)氏ガ大阪朝日紙上ニ金色ノ死ト題スル一篇ヲ出シタ事ガアル。アレハコレカラ suggestion ヲ得タノデハナイカト思ハレル。
ところが、毎度おなじみ『探偵小説四十年』では、大学を出て就職した大阪の貿易商を突然ばっくれて放浪中の大正6年、伊豆の伊東温泉ではじめて「金色の死」を読んだ、ということになっています。
先にも書いたように、私は少年時代自然主義文学が面白くないという印象を受けてから、日本の文壇小説というものに殆んど無関心となり、それが大学卒業後までつづいていたのだが、第一の職業、大阪の貿易商をしくじって、数ケ月の間、温泉から温泉へと放浪をつづけていたころ(私は生来放浪の気質を持っていたが、それが実際に現われたのは、このときが最初であった)伊豆の伊東温泉であったと思うが、宿のつれづれに、ふと手にした小説が谷崎潤一郎の「金色の死」であった。私はこの小説がポーの「アルンハイムの地所」や「ランドアの屋敷」の着想に酷似していることをすぐに気づき、ああ日本にもこういう作家がいたのか、これなら日本の小説だって好きになれるぞと、殆んど狂喜したのであった。それ以来私は谷崎氏の小説を一つものがさず読むようになったが、読めば読むほど益々好きになり、今でもその気持は失せていない。
『探偵小説四十年』にはこう記されているのですが、事実は『奇譚』に記されたとおり、つまり乱歩は大学在学中に「金色の死」を読んでいたということになるでしょう。
ただし『奇譚』の記述にもおかしなところがあって、「金色の死」が連載されたのは、小谷野敦さんの「谷崎潤一郎詳細年譜」をはじめとした谷崎潤一郎の年譜によれば、「大阪朝日新聞」ではなくて「東京朝日新聞」でした。
▼谷崎潤一郎 詳細年譜:1914(大正3)年 / 29歳
それにしてもこの年譜はなんだか凄いなと思いますけど、それはともかく、「金色の死」の連載は12月4日から17日まで、むろん当時の乱歩は東京に住んでいましたから、読んだのは東京朝日だったと考えてまちがいないはずで、しかも『奇譚』がまとめられたのは大正5年3月、つまり「金色の死」が発表されてからわずか一年ちょいあとのことゆえ記憶もまだまだ鮮明だったと思われるのですが、にもかかわらず乱歩はたしかに「大阪朝日紙上ニ金色ノ死ト題スル一篇」と記しています。
大丈夫か乱歩、みたいなことはいいとして、気になるのは『探偵小説四十年』の記述です。
乱歩が伊東温泉で『金色の死』を読んだのは事実でしょう。
たぶん大正5年6月に日東堂から刊行された名家近作叢書第二輯『金色の死』だったと思われますが、放浪の旅の途次、どっかの本屋でその本を眼にとめて、ああ、あの小説は面白かったな、とか思って買い求め、伊東温泉の宿屋の座敷に寝っ転がって、進退きわまりつつある現実からまさにユートピアへ逃避するようにして「金色の死」をむさぼり読んだ、ということだったように思いますけど、さて、それから三十年あまりが経過して、『探偵小説四十年』に、というか、厳密にいえば「探偵小説三十年」にそのときのことを書く段になって、乱歩は自分がはじめて「金色の死」を読んだのは学生時代であったということを忘れてしまっていたのか、それとも、おぼえてはいたけれどもなにかしらおもわくがあって放浪中にはじめて読んだということにしてしまったのか、さーあ、どっち。
どっちかであることはたしかなんですけど、いったいどっちであったのか、お暇でしたらちょっと考えてみてください。
それでは、できるだけ両眼をいたわりつつ、またジャンキーに戻ることにいたします。
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