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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2013.09.14,Sat

 えー、またこの話題です。


 思い起こせば2010年、「伊賀百筆」編集部から名張市の江戸川乱歩騒動について記すようおはなしをいただき、ところが果たせず、それ以来ずーっと気にかかっていた宿題に、10月発行予定の第二十三号でようやく決着をつけることができました。

 2010年といえば、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館であるやなせ宿がオープンした翌々年、建築途中で放置された怪しげな神社の予定地みたいな乱歩生誕地碑広場が完成した翌年のことになりますから、名張市内のみならずおとなりの伊賀市にも、名張でいったいなにがあったの? なんかごたごたしてたのはわかるけど、なにがどうなってごたごたしたの? という疑問がわだかまっていたものと思われます。

 以来三年、そんな疑問がすっかり忘れられたころになって、あらためて話題にしてやったぜばーか。

 とか、そんなことはどうだっていいんですけど、この場合の乱歩騒動ってのは、中庭に乱歩生誕地が建てられていた桝田医院第二病棟が名張市に寄贈され、官民双方ののーたりんが乱歩文学館がどーたらこーたら世迷いごと掲げて右往左往したあげく、結局なんにも考えらんなくて乱歩生誕地碑広場という名のただの空きスペースができあがってしまった一件、のことをいうわけで、そのてんまつは今回の漫才でなんとか振り返ることができました。

 当時の事情をいっさいご存じなく、名張市でそんな騒動があったということももうお忘れになっていた、あるいは、そもそもまったく知らなかったとおっしゃる「伊賀百筆」の読者のみなさんにも、名張市のぐだぐだぶりがよくご理解いただけるはずだと確信しております。

 なにしろ、ちょっと信じがたいくらいのぐだぐだぶりではありましたから、震災がれき受け入れ騒動、伊賀の蔵びらき騒動、まちなか再生騒動、といったトピックをたっぷりあしらうことで、ここいらの土地柄がいかに無茶苦茶で、なにやらせたって結局は大失敗、問題の根はどれも共通しているのであって、それはいったいどんな問題なのかというと、関係者全員があほである、という一点に尽きるのである、という冷徹な事実をアクチュアルかつビビッドにお伝えした次第でした。

 ただまあ、いま述べたことはすべて終わってしまった問題で、震災がれき受け入れ騒動、伊賀の蔵びらき騒動、まちなか再生騒動、いずれもすでに終息しております。

 ところが、ただひとつ、いまだ継続中という問題があって、それが名張市立図書館の問題なわけです。

 そりゃな、実際のところはな、もうどうしようもないのな。

 もう、というか、最初っからどうしようもなかったのな。

 考えてもみてくんさい。

 震災がれき受け入れ騒動、伊賀の蔵びらき騒動、まちなか再生騒動、どの騒動をながめても、ここいらあたりの官民双方、異常なまでに愚昧であるという厳然たる事実が際立っておるではないか。

 名張市立図書館のみがそうした愚昧さから自由である、とはとても考えられんじゃろうが。

 たとえば、まちなか再生騒動においては、細川邸を国のまちづくり交付金で整備する、というところまでは思いつけても、そのあとはなにも考えることができませんでした。

 同様に、名張市立図書館の開設にあたっては、郷土に生まれた江戸川乱歩の関連資料を収集しよう、というところまでは思いつけても、そのあとはなにも考えることができませんでした。

 というか、考えようともしませんでした。

 ただただ独善的に、古書目録で乱歩の本を買って本棚に飾っとくことが資料収集だ、と思い込み、それ以上のことはいっさいしませんでした。

 資料を収集するにあたって、対外的な目録とまでは行かなくても、内部資料としてのリストすらつくろうとしなかったってんですから、そうなるともうびっくりするほど器用な話で、虚空蔵菩薩の真言を一日一万回唱えることを百日つづけ、ついには空海ばりの求聞持法を極めでもせんかぎり、リストなしで資料を収集するのは不可能だと思われるのじゃがのう。

 となると、来年10月発行予定の「伊賀百筆」第二十四号に寄稿する「続・僕の図書館戦争」、やっぱこのネタではじめるか。

 
 密教の秘法、となると、お坊さんにぴったりのネタだもんなあ。

 とはいえ、いつもいうとおり、初代館長さんだけの問題ではないからなあ。

 図書館、図書館協議会、教育委員会、そういった関係機関団体のどこからも、乱歩関連資料の収集が無茶苦茶だ、という声が出なかったんだもんなあ。

 むろん、市民からも、まったく出なかった。

 ということは、どういうことか。

 乱歩関連資料を収集します、といいながら、まともなことはなにひとつできていなかった、というにとどまらず、すべての関係者は、まともなことはなにひとつできていない、ということすら理解できていなかった、ということであり、それでもなんの問題も生じなかった、というのですから、すべて円満じゃん。

 いやいや、そんなわけねーじゃん。

 みたいな話を、「伊賀百筆」第二十四号の「続・僕の図書館戦争」でねちねちねちねちとくりひろげることになりますが、それとはべつに、これは第二十三号にも予告めいたことを記しておいたのですが、名張まちなか再生委員会の解散劇のこともいじいじいじいじお伝えしておくべきではないか、と考えております。

 というのも、名張市の乱歩騒動にかんするお尋ねは、じつは「伊賀百筆」編集部からいただいただけだったのですが、名張まちなか再生委員会の解散劇にかんしては、たぶん三人だったか四人だったかの伊賀市民のかたから、いったいなにが起きたのか、という質問が寄せられたほどで、名張市も含め、乱歩騒動よりはこっちのほうが地域住民の関心が高かったという印象がありますので、地域社会における同時代史の証言として、名張まちなか再生委員会の解散劇についても筆を費やしておくべきじゃろうなと。

 それに、こっちのほうがネタは豊富なわけ。

 乱歩騒動の場合は、桝田医院第二病棟の話がどう進んだのか、私にはさっぱりわからなかったんですけど、その騒動が愚劣というしかない落着をみたあと、私が名張まちなか再生委員会の委員に加わってからのことは、結構こまかいことまでわかりますから、ネタとしてはいくらでも膨らみまっせ。

 というか、私が委員会に入会する直前のこと、委員会メンバーだった名張市議会議員の先生がたが泡を食っていっせいに退会されたときの議事録もあったっけ、とか思って調べてみたら、このエントリで公開してました。

 名張まちなかブログ:乱歩のことを考える(お)(2010年5月15日)

 ぎゅッ。

 ぎゅッ。

 ぎゅッ。

 やぎゅーのぎゅッ。

 でおなじみの柳生大輔先生、

 「当初は相談役程度のイメージであったが、名張まちなか再生事業(以降「本事業」という。)が進捗するに従い、委員との様々な関係や利害関係も生じる中、これ以上参画するのは好ましくないと考え、参与を辞退することとしました、ご理解を頂ければと存じます」

 とわけのわかんないことおっしゃってて、それを受けた福廣副委員長から、

 「少なくとも利害関係は生じないと思いますので、何らかの形で関わって頂きたい」

 と慰留されたにもかかわらず、ほかの市議会議員先生といっしょに一目散に退会なさったわけですけど、この理事会の開催が2008年5月28日のこと、私が名張まちなか再生委員会に入会して2008年度総会に出席したのが6月1日のことだったんですから、そーりゃ先生がたが大汗かいて泡を食って尻尾を巻いて退散なさったのも、きゃはは、無理のねー話だわなあ実際。

 いやー、「伊賀百筆」第二十四号の漫才も、さらに爆笑もののネタを満載し、鬼神のごとくパワーアップしてお届けできそうだなや。

 楽しみに待っててけろ。

 つか、第二十三号もまだ出てないんですけど。

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