Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2013.08.20,Tue
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日刊サイゾー
平成25・2013年8月14日 サイゾー
メディアの構造云々を語らずとも──喰えないライター稼業の覚悟を知る『竹中英太郎記念館・父子展』探訪
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2013.08.14 水
メディアの構造云々を語らずとも──喰えないライター稼業の覚悟を知る『竹中英太郎記念館・父子展』探訪
『竹中労---没後20年・反骨のルポライター』(河出書房新社)
メディアの構造が変化する中で、「フリーライター」が飯を食っていくことが難しくなったといわれて久しい。けれども、筆者は大いに疑問を感じる。業界に足を踏み入れて10年あまり、一度とて楽に飯が食えていると感じたことなどないからだ。
10年ほど前に、えんぴつ無頼で口に糊して暮らそうと考えた時に、まず読んだのが竹中労の『ルポライター事始』(筑摩書房)であった。この本の冒頭で労は言う。
<モトシンカカランヌー、……という言葉が沖縄にある。
資本のいらぬ商売、娼婦・やくざ・泥棒のことだ。顔をしかめるむきもあるだろうが、
売文という職業もその同類だと、私は思っている>
そもそも、ライターなぞはマスコミ業界の最底辺にほかならない。そんな理屈を理解して「覚悟は決めている」とうそぶいても、毎日生きているだけでも、腹は減るしカネはかかるものだ。あたりを見渡すと、同業者の中には「実家に帰ろうか」と話す者もいれば、自ら命を絶ってしまった者もいる。死んでしまっても消息がわかるなら、まだマシなほうかもしれない。多くは姿を消して、誰の記憶にも残らないからだ。そうした話を聞くたびに「覚悟」も揺らいでいくものだ。
そんなある日、山梨県の甲府市にある竹中英太郎記念館で、英太郎と労の父子展が開催されているとの話を聞いた。
揺らぐ覚悟を律する意味で、ぜひ訪問してみたいと、筆者は新宿発の高速バスの客となったのである。
記念館は、甲府市の郊外。駅からはバスで15分ほどの湯村温泉の郊外にある。バスを降りて徒歩で5分ほど、温泉街の通りを脇にそれた先のそれは、個人のお宅といった佇まいの、ホッとする雰囲気の建物だ。
靴を脱ぎ、入館料を支払い2階へと案内される。……そこは、情熱の世界であった。
英太郎の絵画、労の著作。筆者がまず見入ったのは、労の著作の背表紙と生原稿であった。
いま「ルポライター」の元祖と称される労の著作を読むことは、甚だ困難である。『ルポライター事始』『美空ひばり』など「主著」と呼ばれる作品は、ちくま文庫で現在も発行されている。しかし、それはあくまで彼の作品の一部にすぎない。『ニッポン春歌行 もしくは「春歌と革命」』(現代ジャーナリズム出版会)、『水滸伝 窮民革命のための序説』(平岡正明との共著/三一書房)などは、古書店で定価の数倍の値段になって売られている。
没後20年には、ムック本『竹中労──没後20年・反骨のルポライター』や、鈴木邦男氏の評伝『【人と思考の軌跡】竹中労──左右を越境するアナーキスト』(共に河出書房新社)が出版されるなど、需要があるにもかかわらず、著作を手に入れることは極めて困難なのだ。
メディアの構造云々を語らずとも──喰えないライター稼業の覚悟を知る『竹中英太郎記念館・父子展』探訪
しかし、苦労して手に入れた著作は、時折折れそうになる「覚悟」を押しとどめていてくれると、筆者は確信している。
そんな労の作品群の表紙や本文中を飾る絵画。それは、英太郎の手によるものである。
英太郎は、江戸川乱歩作品の挿絵などで知られる優れた画家だった。だが、思うところがあって、一線を退き、郷里の山梨で新聞社の社員となったという。そんな父が、唯一、労の著作にだけは自身の作品を提供した。『水滸伝』『ニッポン春歌行』『世界赤軍』(潮出版社)等々、筆者の手元にある労の著作は、いずれも英太郎の作品が表紙を飾っている。
『水滸伝』を著したように、一時期は平岡正明・太田竜と共に「世界革命浪人」を自称した竹中労。その父は息子と並んで、あるいは息子以上に革命への情熱を持った人物であった。『芸能界をあばく』の冒頭で労は
<戦前左翼運動の修羅場をくぐりぬけてきた父──英太郎は、江戸川乱歩の挿絵を書いて大衆画壇の寵児となってからも、見果てぬ革命の夢を追っていたのだろう>
と記す。画壇や文筆の世界で栄誉を得ることだけが人生の目標ではない。そんな世界の枠を越えたスケール。それが、いまだに多くの人々を魅了するのだ。
これまでも、さまざまな人物の記念館を訪れたことのある筆者だが、この記念館はひと味違った。館長でもある、金子紫さん(英太郎の娘、労の妹に当たる)は、リビングのようになっている記念館の一階で、来館者にお茶を勧め、父や兄の思い出話をしてくれるのだ。
金子さんと話をしながら棚を見れば、そこには労がたびたび寄稿していた「新雑誌X」(幸洋出版)、絶筆となった「実践ルポライター入門」が掲載されていた「ダカーポ」(マガジンハウス)などが並んでいる。「ダカーポ」はともかく「新雑誌X」が、こんなに揃っているのは、見たことがない。
聞けば、これらの雑誌は「ファンの人が寄贈してくれた」ものだそうだ。訪問者の中には、一日ずっと、それらの雑誌を読み続ける人もいるという。
金子さんによれば、竹中父子の資料の多くは、さまざまな理由で散逸しているという。
例えば、「週刊明星」(集英社)1969年3月9日号に掲載された、労の「書かれざる美空ひばり」という記事の中に「一昨年、父親は私の羽織の裏に“せめて自らに恥じなく眠れ”と書いてくれ」との一文がある。その羽織の消息を金子さんに尋ねたところ「(労の事務所スタッフが)タクシーに忘れたと聞いたことが……」という。ああ、なんともったいない!
メディアの構造云々を語らずとも──喰えないライター稼業の覚悟を知る『竹中英太郎記念館・父子展』探訪
そうした散逸した資料は、時折世の中に姿を現す。労の生原稿などが古書店に出品されることもまあれにはあるのだ。しかし、かなり高額なものになる場合がほとんどで、記念館でもなかなか購入は難しい。ところが、そうした資料を入手して「これは、ここにあるべき」と寄贈する人もいるのだとか。そうして、記念館には父子二代のさまざまな資料が、少しずつ集まりつつあるのだ。
小さな記念館に満ちあふれる父子二代の情熱、あるいは革命への狂疾は、とても一度の訪問ですべてを受け止めることはできまい。次第に充実する資料もそうだし、すでに収集されている映像資料を見るだけでも、膨大な時間を必要とする。ここは、文筆で口に糊する者にとってのアジールではないかと、筆者は感じた。蹉跌を繰り返しても、倒れることなく立ち続けた先達がいるというのに、なぜ、早くもあきらめることができるだろうか。
それにしても、労のような文筆を成すのは難しい。未完に終わった「実践ルポライター入門」は、その最初に、読みやすい文章の実践として「泣き別れをしない」ことを挙げる。これひとつをとっても、なかなか成すのは難しい。
今は、さらっと社会を「批評」したフリをする論客たちが脚光を浴び、それに追いつけ追い越せとばかりに、最初からなんかの論客のように振る舞うヤツらが跋扈する時代だ。ここ数年でレーベルの増えた新書に至っては、「専門家」の話したことをゴーストライターがまとめて、センセイの名前で出版するのが当たり前。そんなものが売れている時代に、必死に取材して調べて書くルポライターが、そう簡単にうだつを上げられるはずもない。だが、Googleで検索して得られる情報がすべてだという勘違いはやがて廃れる。だからやっぱり、批評家気取りに堕落することなく、取材しなくては書けない、を貫かなくてはならないのだ。記念館で吸い込んだ空気で「覚悟」を新たにしながら、そう思った。
(取材・文=昼間たかし)
湯村の杜 竹中英太郎記念館
<http://takenaka-kinenkan.jp/>
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