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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by - 2024.11.25,Mon
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Posted by 中 相作 - 2013.07.18,Thu

 暑い。


 ということばが、エントリの起筆にあたってまず最初に浮かぶ。

 それくらい暑い。

 斎藤夜居の『蒼太の美学』という本があります。

 と、脈絡もくそもなく本題に入ってしまう。

 それくらい暑い。

 夕方、まともに西陽を浴びながら犬と散歩して帰宅し、シャワーして軽く缶ビールを傾けてそのあとパソコンに向かったというのに、まだ暑い。

 と、本題もくそもなく関係のない話題に流れてしまう。

 それくらい暑い。

 とか、いつまでやってんだか。

 斎藤夜居というのは、まあこんなひとです。

 Wikipedia:斎藤夜居

 その筋では結構ビッグネームだと思うのですが、その斎藤夜居にして、生没年はわかっても日付まではわからない、というわけですから、こりゃまたえらいところに足を踏み込んじゃったな、とあらためて思います。

 『蒼太の美学』はいうまでもなく平井通を題材にした随筆ですが、私は随筆という形式による評伝として扱いました。

 ネット古書店「日本の古本屋」で検索してみると、限定三百五十部、昭和49年刊、A5判、函カバー、五十六頁、みたいな本で、気になるお値段は四千円台から八千円台といったところです。

 ただしこの本、版元ご所蔵のものを借覧することを得ましたので、繙読するための出費はゼロで済みました。

 しかし、『蒼太の美学』を読む以前から私にはある先入観があって、それは要するに、斎藤夜居は大丈夫? といったことでした。

 というのも、松村喜雄の『乱歩おじさん』に、斎藤夜居が「乱歩の作品の半分以上は、弟の平井通氏の代筆である」と話していた、というエピソードが書きとめられていたのを憶えていたからです。

 で、『蒼太の美学』における斎藤夜居は大丈夫だったのかどうか、といいますと、大丈夫だったり大丈夫じゃなかったりしてました。

 知り合って以降の通について記したところはまあ大丈夫そうなんですけど、それ以前、つまり通から聞かされた回顧談を綴ったあたりはやはりあんまり大丈夫そうではなく、たとえば通の初婚は昭和2年だった、と斎藤夜居は書いてるわけですけど、これは大正13年だったとみるべきです。

 とはいえ、『蒼太の美学』が生身の平井通を知るために不可欠の資料であることはまちがいありません。

 そんなものべつに知りたかねーよ、とおっしゃるひとがほとんどであることはようわかっとりますが。
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