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Posted by 中 相作 - 2013.06.25,Tue

ウェブニュース

YOMIURI ONLINE
 平成25・2013年6月21日 読売新聞社

だって6月だから…足立区六月(後編)
 カベルナリア吉田
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だって6月だから…足立区六月(後編)


| 前編 | 後編 |


居心地のよさを感じる珈琲屋




珈琲屋がある通り。六月のスキマ旅は続く


 東武線の西新井駅と竹ノ塚駅のほぼ中間、旧日光街道沿いの街・足立区六月。その外れに小さな珈琲コーヒー屋がポツンと1軒。駅からも、六月町の中心からも遠い、なぜこの場所に? 不思議に思って入ると、バンダナを巻いた眼鏡のお兄さんが迎えてくれた。


 細長い店内、ジャズが流れている。棚に東野圭吾さんの文庫本が並び、お兄さんはシフォンケーキ作りに集中。キリマンジャロを注文、やがて馥郁ふくいくたる香りが漂い出す。


 「急に暑くなりましたね」


 タオルで汗をぬぐう僕に、ケーキ作りの手を時おり休め、お兄さんが言う。「ついこの前まで寒かったのにね」と続けて言い、少し笑う。……昼飯を食べた中華屋と同じだ。やはり初めて店に来た僕を「コイツ誰?」と警戒する様子はない。


 不思議な場所に店がありますね? そう聞くと「どこの駅も近くないです、ここ」とお兄さん。街の名前「六月」については、「<むつき>ですか?と聞かれます。本当に<ろくがつ>なんだ、と驚く人もいますね」。


 交わした会話は、たったそれだけ。でも居心地がよくて、コーヒーを飲み終わったあとも、僕はしばらくお兄さんのケーキ作りを眺めて過ごした。


せんべいの袋に「ぎょうざ」!?




鷲神社参道入り口のせんべい屋


 旧日光街道に戻り、鷲神社参道入り口のせんべい屋へ。年季の入った、そして大きな店。ズラリとせんべいが並ぶ、その真ん中にオバアちゃんがひとり、ニコニコと笑っている。僕はとりあえず、せんべいを端から順々に物色する。


 種類が多い、そして量も多い! 草加せんべいお得用袋は、米袋を思わせる大袋入りで630円ナリ。そして……なんだコレ? 品札に手書きで「ぎょうざ」の文字。何かの間違いかと思ったら、せんべいの袋にも「ぎょうざ」と書かれている!


 「ニンニクとニラがいっぱい入っているの。嫌いな人の前で開けると大変よ!」




袋に「ぎょうざ」と書いてある!


 オバアちゃんはそう言ってケラケラと笑った。結局このぎょうざせんべいと、草加せんべいの「こわれ」も買う。シメて468円。


 「この辺は<六>のつく住所が多いの。六月とか六町とか」。そんな話から、オバアちゃんは少しずつ、昔のことを語り始めた。


 「旧街道といってもね、古い店ももうそんなに……。ウチはもともと浅草でやっていて、戦後ここに移ってきたの。60年前ね」


 そしてお生まれは向島だと言う。僕も向島の近くに住んでいると言うと、「まあそうなの? 今も芸者さんは多いのかしら?」「今は少ないです」「そういう遊びをする旦那衆が、いなくなったからねえ」。


 ここで「店は浅草ビューホテルの前だったの」と、奥から別の声が。ガラス戸の向こうで、猫を抱いたご婦人が笑っている。オバアちゃんの娘さんだろうか。そしてここでも、ヨソ者の僕をいぶかしがる雰囲気はない。オバアちゃんも、娘さんらしきご婦人も。


 せんべいを抱え店を出ようとすると、オバアちゃんが「けっこう美味おいしいのよコレ」と言って、飴 あめ 玉を僕の手に握らせる。


 そして、「今日は向島の話を聞けて、懐かしかった」。そんな言葉で見送ってくれた。


銭湯で汗を流し、バーに直行




銭湯「草津温泉」の看板。ここで汗を流そう


 夕暮れの旧日光街道を、自転車が何台も走ってゆく。ペダルを踏み、家路を急ぐ人たち。六月に住む人もいれば、街道を進んだ先の、別の街に住む人もいるのだろうか。


 かつてこの道を小林一茶さんが、そして数多くの有名無名の人々が行き交った。どの店を訪ねても「コイツ誰?」という顔をされなかったのは、旧街道沿いの街だから? ヨソ者が行き来することに慣れているから、街の人は突然の見知らぬ来訪者に、いちいち驚きはしないのかもしれない。


 「草津の湯」看板を掲げる古い銭湯へ。服を脱ぎ、タオル片手に洗い場に向かうと、「うわっ、あっちー!」。


 若者がふたり、湯船に足先を浸 つ けるや悲鳴を上げた。さすが草津の湯! 僕は頑張って肩先まで浸かり、じっくり汗を流す。湯船脇の壁には、近所の店の広告が並んでいる。


 「湯上がりに生ビール!」「喉を潤すこの一杯!」。飲むしかないだろう! 銭湯を出て向かった先は、六月2丁目交差点。午後6時、数軒並ぶ居酒屋に明かりが……おっ、昼間見つけたバー「エルシーマーリィ」に、もう明かりが灯ともっている。こんばんはー。




バー「エルシーマーリィ」。笑顔で迎えてくれたマスターの植木さん


 「あっ……ゴメンね、ハイいらっしゃい」


 ロン毛を後ろで縛った初老のマスターは、まだ客は来ないと思っていたのか上半身ハダカ。慌ててシャツを着ながら「今日は暑かったから、汗かいちゃってねー」と苦笑い……あ、シャツを着たらオシャレだ。空色のアロハシャツにピンクのジーンズ、ブルーのデッキシューズ。


 そしてメニューを開くと、何やら格言が。


 「我々は安酒を飲む為だけに大人に成った訳ではない。そして我々はファストフードを食べるために大人に成った訳ではない。悠々として生きたいものです。店主軽率」――どうやら粋な店にめぐり合ったようだ。


 1杯目はギネス。一息で飲み干し、2杯目はジェントルマンジャック(ジャックダニエルの兄貴分のような酒)のロックと、「本日のおすすめ」から、フルーツトマトのアールグレイ風味。そして、「これも良かったら」と出てきたのは、マスターが漬けたラッキョウ。ウイスキーとアールグレイ、ラッキョウが三位一体となり、絶妙に混ざり合う。




本日のおすすめ「フルーツトマトのアールグレイ風味」


 マスター・植木さんがここで店を開き、もう35年。だが植木さん、ここ六月のご出身ではなく、岐阜県の生まれだという。なぜ近くに駅もない、この街で店を?


 「姉がここに嫁いだのが縁でね。来てみたらなんとなく、居心地がいいんだよね」


 そうなのだ。この街は、なんとなく居心地がいい――僕だけじゃなく、マスターもそう感じていた。なんだか嬉うれしい。


 客がひとり、またひとりやって来る。どの客にも同じように植木さんは声をかけ、僕はジェントルマンジャックをもう一杯、また一杯と頼む。時間が緩やかに過ぎていく。


 店内に、木製のジュークボックスが。「いいでしょ? アメリカのやつみたいに派手じゃなくて」と植木さん、ドイツ製の年代物だそうだ。自然と好きな音楽や本の話題になり、ふと江戸川乱歩の話になる。僕がいちばん好きな乱歩作品は『芋虫』。「グロテスクだけど泣けるんです」と僕。「読んでいないなあ。アマゾンで買えるかな?」と植木さん。


 そして最後に意外な話を聞いた。


 「六月だけじゃないです。埼玉に<十二月の田んぼ>と書いて<十二月田しわすだ>っていう街もありますよ」


 え、本当に?


 というわけで12月のスキマ旅は、もしかしたら「十二月田」を歩くかも。そしてこの翌日、植木さんからメールが届いた。


 「『芋虫』買いました」


 足立区六月。この不思議な名前の街とは、長い付き合いになりそうだ――そう思った。


ELSIE MARLEY(エルシーマーリィ)

 東京都足立区六月2―21-18

 Tel:03-3858-3398

 営業:午後6時~深夜1時

 日曜定休


| 前編 | 後編 |


(2013年6月21日 読売新聞)


プロフィール




カベルナリア吉田


旅行ライター。1965年北海道生まれ。早稲田大学卒業後、読売新聞社、情報雑誌「オズマガジン」増刊編集長などを経て2002年よりフリー。沖縄や離島を舞台にした紀行文を単行本と雑誌で発表している。近著に「さすらいの沖縄伝承男」「絶海の孤島」「オキナワ マヨナカ」などがある。

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