みんな、「八重の桜」、みてる?
きのうはついに藤堂の寝返りが登場しました。
慶応4年1月、京都南部の鳥羽ならびに伏見において幕府軍と薩長軍による戦い、いわゆる鳥羽伏見の戦いの火蓋が切られたのですが、幕府軍に属していた津藩は幕府軍が劣勢とみるやいちはやく薩長軍、つまり官軍とか新政府軍とかのことですけど、そっちのほうにあっさり転んでしまってついさっきまで味方だった幕府軍に大砲をぶっ放してしまうありさま、なんかもうめちゃめちゃじゃね? みたいなことになったのが津藩藤堂家の寝返り、すなわち藤堂の寝返りという一席なんですけど、きのう放映された「八重の桜」にはこの寝返りが登場し、八重ちゃんの弟の三郎くんが津藩の銃撃を受けて死んでしまいました、みたいな筋立てだった思います。
思います、というのは、酔っぱらいながら視聴してましたので確たる記憶とは呼べないということなのですが、とにかく鳥羽伏見の戦いが描かれていたのはまちがいありません。
維新前夜の寝返りがこんにちまで語り継がれているのも、もとはといえば藩祖の藤堂高虎があっちへ転んだりこっちへ転んだりしていたことが背景にあるわけですから、高虎を主人公にした大河ドラマなんて、やっぱいつまでたっても無理なんじゃないかと思います。
それはともかく、この戦いにおいて、津藩藤堂家の上級藩士だった乱歩のおじいさんはどうしていたのか、といいますと、おじいさんはこの戦いには参戦していなかったようです。
おじいさんは鳥羽伏見の戦いの四年前、元治元年に城和加判奉行に任命され、大和国の古市というところに転勤していました。
城和というのは山城国と大和国のことで、津藩は伊勢と伊賀のみならず山城にも大和にも領地があって、乱歩のおじいさんはその領地の責任者みたいな役職についていたわけです。
おじいさんの奥さんは藤堂家のお姫様だったのですが、早くに亡くなっていましたので、おじいさんは古市在任中に後妻を娶ります。
この後妻が乱歩のおばあさんということになるのですが、いやいや、脱線ばかりもしていられません。
「八重の桜」における藤堂の寝返りの話はこれくらいにして、こんどは乱歩のおじいさんおばあさんではなくて弟の話になるわけですが、以下またあした。
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