ウェブニュース
TOWER RECORDS ONLINE
平成25・2013年5月20日 タワーレコード
夢百景~理想の鮨と、憧れのリング~
本村好弘
Home > 音楽情報 > ニュース&記事 > 特集 > 記事
カテゴリ : Exotic Grammar
掲載: 2013年05月20日 16:28
ソース: intoxicate vol.102(2013年2月20日発行号)
text:本村好弘
『現世(うつしよ)は夢、夜の夢こそ現実(まこと)』と、説いたのは江戸川乱歩だが、昨今の日本人は、昼も夜も夢に乏しい。「最近ハアハアしてる?」の壇蜜の言葉ではないが、現代人は、大人の振舞いに一生懸命で、夢想することすら食傷気味なのかも知れない。最近、夢すらも見たことがないとお嘆きの貴兄に、夢についてユングやフロイトとは違ったちよっと風変わりな夢の考察を披露したいと思う。
“邯鄲(かんたん)の枕”と言う故事はご存じだろうか? 盧生という若若が、翁から枕を借りて眠り、五十余年の優雅を極めた自身の夢を見る。しかし目覚めてみると、眠っていた時間は、炊きかけの粟もまだ炊き上がっていない僅かな時間であったと言う話だ。人生の栄枯盛衰は一瞬の夢の様にはかない。ここでお気づきの方もいるだろうが、はかないは、『儚い』と漢字で書く。人が夢を築く、神の視点から見れば、人生こそ儚い夢のようなものなのだ。
修学旅行コースとして有名な夢殿は、そこに安置してある救世観音立像と共に、国宝となっている日本人周知の世界遺産だ。天平十一年(739年)頃、行信の手によって法隆寺東院の正堂として創建された。八角形の独特なフォルムは、不思議と万人の心を落ち着かせる佇まいがある。夢殿の名の由来は諸説あるらしいが、斑鳩宮に同名の建物があり、聖徳太子が、自らの夢によって神託を得るための祭式行為の場所から付けられたと言われている。つまり聖徳太子は、難しい政治や宗教活動を人智を超えた天から、夢を通じて直接教示してもらっていたと言う訳だ。夢は、人間にはコントロール出来ない神聖なものと考えられていたようだ。
リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』(1982年)の原作は、フィリップ・K・ディックの著名なSF小説である事は余りにも有名だ。1968年に刊行された「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(ハヤカワSF文庫刊/原題『Do Androids Dream of Electric Sheep?』)は、第三次世界大戦後のサンフランシスコを舞台に、賞金稼ぎのリック・デッカードが火星から逃げてきた8体のアンドロイドを処理するという物語だ。大戦後の世界は、あらゆる生物が希少となり、政府により管理され、愛玩動物さえも機械化されている状況だ。生きるものとアンドロイドを含めた人造物が混然一体となっている社会。賞金稼ぎは、高度な技術によって生み出され個々の人生経験の記憶を持つアンドロイドに、夢判断のような奇妙な対話手法で対峙し挑んでゆく。タイトルにある夢の意味合いは、ある種、人類への根源的なテーマを孕んでいる様にも思える。それは単に人間と機械の違いや優位性では無い。人は何故夢をみるのか、夢たらしめるものは何か、機械と人間の本質的な違いとは何か、もし人造人間が感情や経験、そして夢までも見る様になれば、それは即ち、人間ではないのか、と………。
今では40代後半以上の人でないとピンとこないフレーズ。『夢の超特急』これ、なあ~んだ?そう、日本が誇る超特急、新幹線のことだ。リニアモーターカーが現実のものになり、宇宙エレベーターが技術者により議論される21世紀、今さら新幹線は無いと思う人もいるだろう。だけど誰も「夢のリニア」とか」「夢の宇宙エレベーター」と言う人は居ない。昭和39年(1964年)、それまで東海道本線を走っていた特急「こだま号」は、東京―大阪間を、6時間50分で繋いでいた。それがこの夢の超特急・ひかり号は世界最速のスピードで、たった3時間で到着してしまう。この弾丸列車・新幹線の登場は、その勇姿を、老若男女、わくわくして釘付けになったものだ。さて、今の世の中、人々が羨望の的となる『夢の○○○』となり得るものが一体、幾つあるのだろう。物質的な意味合いだけでなく本当の意味で欲するもの、一個人の努力では掴み得る事が出来ないもの、それが英知の結集によって現実のものと近づくとき、我々はそれを『夢の○○○』と呼ぶに違いない。それが残念ながら、今は未だ無い。
チェーホフの4大戯曲のひとつ、『かもめ』に登場する作家役のトリゴーリンは、チェーホフ自身を投影したキャラクターだと言われている。トリゴーリンは、小説家で地位や名声も獲得した売れっ子作家である。チェーホフは、自身の分身であるトリゴーリンに作家であり続けることの生活を、作中のヒロイン・ニーナとの会話の中で、その作家生活の苦悩を、強迫観念という言葉で著わしている。
作品に自身の魂を息吹かせるには、作家にとって書き続ける事以外に方法は無い。書かなければならない作家としての性分。トリゴーリンは、強迫観念に満ちた自分の生活が、とても夢のような素晴らしいものには思えないと打ち明けるが、続けて執筆や校正している時の喜びも伝えている。そうして、作家としての意義や使命感について自身の作風とのジレンマに思い悩んでいる事も打ち明けているのだ。チェーホフは、劇作家として大成するまでの道のりは決して短いものであった訳では無い。事実、この戯曲『かもめ』も1896年の初演では、ロシア演劇史上、類を見ない程の失敗で幕を閉じている。その後、あの有名なモスクワ芸術座が、彼の名前を伏せて上演したところ、作品そのものの真価が評され大成功を収めたという。強迫観念の裏にはたゆまぬ不断の努力と、不屈の精神が必要なようだ。
薬師丸ひろ子が主題歌として彼女が唄った、映画『セーラー服と機関銃』の同名主題歌は話題を呼び大ヒットした。しかしこの曲の本当のタイトルは『夢の途中』公開当時、この曲を作曲した来生たかおが、競作という形で唄っていたのを覚えている。作詞は、夫人の来生えつこ。この楽曲が生まれた経緯や、歌詞にどの様な想いが込められているかは、分からないが、3コーラス目に、スーツケースいっぱいにつめこんだ希望という名の重い荷物を……と言う歌詞から、若者が何か夢を求めて旅立ってゆく感じが読み取れる。それは、何かしら暖かく誇らしげな感じがする。若者の旅立ちの始まりが感じられるようだ。スーツケースにあるのは、大きな志と、そして社会への責任と重圧みたいなものだろう。曲は、旅立ちへの気負いに任せて重い荷物を、軽々と持ち上げてみせる若者の姿を見せている。「夢の途中」というのは作詞者の造語だろう。しかし「夢の途中」と言う響きは何だか清々しい。夢と言う言葉に続くワードには、不思議と不吉なイメージにつながるものが多い気がする。“夢に破れて”とか“夢半ばにして”とか“夢に現を抜かされる”とか……けれども「夢の途中」という言葉には、次のステップへと進む可能性みたいなものを感じずにはいられない。人生を求めてゆく限り、挫折したとしても、それもまた夢の途中という訳だ。
大の大人が夢を語るのはとても恥ずかしい。コラムの依頼を受けた時、こんな文章が添えられていた“最近、何か大人も夢をみたほうがいいんじゃないかな~と思っていて……”夢見る頃を過ぎた、大人の見る夢とはどんなものだろう。
映画『二郎は鮨の夢を見る』
『二郎は鮨の夢を見る』は、銀座にある鮨店を舞台にしたアメリカ人監督によるドキュメンタリー映画である。「今、この仕事をしていて完璧だと思った事は無いからね」「(この仕事の)頂上までいけば完璧かも分かんないけど、ではその頂上がどこかというと分かんないですよ」「好きにならなければ駄目ですよ。その仕事に惚れなきゃ」と語るのは御年85歳の現役寿司職人、小野二郎の言葉である。彼の握る鮨は、何処の鮨店よりシンプルだが、お客に対する繊細な心使いが、その仕事に数限りなく盛り込まれている。彼は、自分の仕事に厳しい。映像を見ていれば、頭の中はのべつ幕なし強迫観念のように、鮨を握ることしか考えていない事がオーラのごとく伝わってくる。不断の努力と、終わりの無い仕事への挑戦。理想の鮨を握ること、その鮨に対するピュアな気持ちこそ、彼の追い続ける永遠の夢なのかも知れない。
“あなたの夢をみんなでかなえる。
それが、いちばん幸せなキャンペーン”
某麦酒メーカーのキャンペーンのキャッチ文である。そのネーミングは「夢のドリーム」キャンペーンとある。夢を叶えるドリームなキャンペーンという意味なのだろうか? 詳細を見てみると、夢を叶える様子を商品CMに使用する旨が書いてあった。このキャンペーンに対する応募は、3万5千人にも及んだという。決定した夢の内容は、“プロレスラーになって長州力と対戦したい”37歳、男性会社員が夢の権利を獲得した。年末年始の帰省の間に、CMは大々的に流された。映像は、映画『ロッキー』で対戦相手のアポロ陣営がアメリカンドリーム叶えますキャンペーンを張った様なド派手でゴージャスな会場、スーツ姿の応募者が、ファイトユニホームに変身すると共にゴングが! という演出。正直なところ、15秒、30秒で表現するCMの世界。視聴者からすれば、スタープロレスラーと、素人の対戦はピンと来ない。CMが収束に向かい始める頃、ふとしたきっかけで、このCMのメイキング映像に出くわした。十分にも及ぶ映像には、応募者に1ケ月半以上に亘ってカメラが向けられていたのだ。幼い頃抱いていたプロレスへの憧れ、プロレスラーを目指しトレーニングを重ねていた青春時代、会社員として新たな人生を歩み結婚し子供を儲け、郊外にマイホームを建てたこと。偶然のアンケートから、突然プロスラーになる夢が入り込んでしまった戸惑いと喜び等が映像に収められていた。それだけではない。彼は1日だけのプロレスラーのために道場で特訓をし、仕事を続けながら自主的にトレーニングを始めたのだった。メイキングでは、刻一刻と試合が近づくにつれ、応募者の顔の表情や、肉体が鍛えられてゆく過程が清々しく見て取れた。もう後悔しないと語った彼の表情は、第2の人生を歩み出した夢の途中を垣間見る様であった。夢を語るのは恥ずかしい。しかし誰かが夢に向かって突き進む姿は、自分の夢を大きく共振させる。
皆さん、最近夢を見ていますか。日常に埋没していませんか。今の仕事が夢だって? それは結構! こっちは原稿の締め切りがギリギリで、毎晩、書いても書いても真っ白になっちゃう夢にうなされているところだよ! だからこれ以上書くのは『よそう、また夢になるとといけねえ』おあとがよろしいようで。
『二郎は鮨の夢を見る』
製作・監督・撮影:デヴィッド・ゲルブ
出演:小野二郎/小野禎一/小野隆士/山本益博
配給:トランスフォーマー(2011年 アメリカ)
www.jiro-movie.com
©2011 Sushi Movie.LLC
全国順次絶賛公開中!
Powered by "Samurai Factory"