Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2013.05.17,Fri
きょうはいいお天気になりました。
東京あたりはどうでしょうか。
池袋では昨日、恒例となったこの催しがスタート。
▼第8回新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館:Home
さっそくウェブニュースが。
▼池袋経済新聞:「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」-街ぐるみで美術展(2013年5月16日)
旧乱歩邸の特別公開はきょうが初日です。
あす18日とあさって19日にはギャラリートークあり。
ギャラリートークといえば、「魔性の女挿絵イラストレーション展」が好評を博しているらしい弥生美術館では6月22日にギャラリートークあり。
▼弥生美術館・竹久夢二美術館:Home
ウェブニュースはこちら。
▼YOMIURI ONLINE:日本文学「魔性の女」400点(2013年4月27日)
こちらもよろしくどうぞ。
▼2013年4月22日:魔性の女挿絵集 大正~昭和初期の文学に登場した妖艶な悪女たち
好評といえば、こちらでは「竹中英太郎・労父子展」がひきつづきにぎわっているようです。
▼湯村の森 竹中英太郎記念館:Home
ウェブニュースはこちら。
▼朝日新聞デジタル:竹中英太郎・労の父子展 甲府の記念館10年目記念(2013年5月14日)
記事が尻切れとんぼになってますが、全文はこちらで、掲載画像をダウンロードしてやや拡大すれば、なんとか読むことができます。
▼湯村の森 竹中英太郎記念館:竹中英太郎記念館 館長日記 > 朝日新聞に掲載されました・・・・・(2013年5月14日)
いいお天気がつづいて、どの催しにも多くのひとが足を運んでくれますように、と記しておく次第ですが、東京や山梨はいいとして、おめーんとこはどうなんだよ、とかツッコミを入れられそうな気もいたします。
当地においてはですね、とくにまあ、なーんもありません。
たとえば、竹中英太郎記念館の全面的なご協力を仰ぎ、当地で英太郎&乱歩展みたいなのを開催したりすると、乱歩の銅像もできたそうだから、とかいって、関西一円や名古屋圏あたりからも来てくれるひとがあるように思うんですが、そんな催しはまったく望めないと思います。
なにしろあなた、名張市だもの。
開催するとなれば、ギャラリートークのひとつやふたつ、格安料金でお引き受けしてもいいんですが、しかしおらほの場合、名張市内でトークするっつーと、ほとんどの時間が行政批判で過ぎてしまうべがらなあ。
やっぱ、やめどいたほが、よぐねが?
んだすんだす。
やめどげやめどげ。
そういえば、と思い出して唐突に記しますが、平井通の評伝を書くとき、ささやかに集めた資料のなかに英太郎関連のものもありましたので、ここでささやかにお知らせしておきたいと思います。
噂発行所から出ていた「月刊噂」の昭和47年11月号(第二巻第十一号)にこんなのが掲載されていました。
▼2013年3月26日:春画で絵描きの実力がわかる
有光書房の社長だった坂本篤から竹中労がインタビューした記事で、最初のほうに乱歩と弟の通のことが出てくるのですが、英太郎がらみのくだりを引いておきましょう。
竹中 しかし乱歩という人は本当はマジメなというか、わりあいに常識人だった。
坂本 あの人は案外マジメな人なんだよ、だが……男色研究は存外知られていませんね。竹中さんのお父さんの英太郎さんも、乱歩さんの挿絵をよく描いていましたね。
竹中 はじめはなんかやかましく注文つけていたようだけど、そのうちすっかりまかせきっていたみたいでした。家にも見えましたし、子供心にもなんとなく憶えてますわ。
坂本 乱歩さん自身は、小説に書く世界や、あるいは世間でいわれているほど異常な人じゃなかった。
竹中 ほんと、マジメな人ですね。ウチのおやじが満州へ行ってもう一回革命をやるんだといってた時なんか、乱歩さん、もうすごく心配してわざわざウチに来てやめろなんていっていた。で、乱歩さんはこれを信じこんじゃって、戦後、竹中英太郎は満州へ行って死んだって書いちゃった。ところがそれが生きてるわけだ(笑い)。
竹中 甲賀三郎さんにいわれて「陰獣」の挿絵をおやじが描いてからというものは、竹中英太郎でなければ、夜も日も明けないみたいな感じだった。
竹中 乱歩さん、艶本集めたりする場合、カネ払いの方はよかったんですか。
坂本 カネ払いが悪かったら、あれだけの物は集まらないですよ。
竹中 おやじが絵を描く時に、そういう物を持ってきて参考資料にしろみたいなことがよくあった。それで、必ずちゃんと取りにきますね。きちっと、完全に引きあげていきますよ。
竹中 ぼくも戦後、新宿の“いすず”でお目にかかった時に、よっぽど竹中英太郎の伜だといおうと思いながら、結局、いわずにお話して別れたんですが、その時もやっぱり岩田準一やおやじの話が出ましてね。つまり“よか稚児だった”というふうな話なんです。これは、伜だということはいうまいと思いました。
甲賀三郎とあるのは、正しくは横溝正史です。
岩田準一や竹中英太郎が乱歩のよか稚児だった、というのも信じがたい話ではありますが、まあ労さんはこうおっしゃってた、ということです。
しかし、英太郎の満州行きを乱歩がやめさせようとしていた、といったエピソードからは、一部でささやかれている英太郎と乱歩の確執なんて、じつはなかったんじゃないかという疑問が生じてこないでもありませんが、いったいどんなもんでしょうか。
もうひとつ、乱歩が戦後、英太郎が満州で死んだ、といったいどこに書いたのか、それがさっぱりわからないのですが、当地で英太郎&乱歩展が開かれるとなれば、そのあたりもひとつ調べてみなくちゃな、ということになるわけですけど、そんな心配だけはまったく必要ないでしょう。
とにかく当地には、なーんにもありません。
ちなみに、「伊賀百筆」用の漫才ですっかり人気者、伊賀南部環境衛生組合はお気の毒に、あいかわらずご難つづきみたいです。
▼伊賀タウン情報YOU:熱風浴び作業の男性やけど 伊賀南部クリーンセンター(2013年5月14日)
するとどうじゃ。
組合に内在していた深い亀裂が、あたかも熱風にあぶりだされたかのごとくに表面化してきたではないか。
▼伊賀タウン情報YOU:災事故の報告遅れ 伊賀市長が不快感 伊賀南部環境衛生組合(2013年5月15日)
▼伊勢新聞:伊賀のごみ処理施設 市長に事故連絡なし 組合に強い不快感(2013年5月16日)
けけけ。
なんかおもしれーなあおい。
いや、案ずるな案ずるな。
漫才のネタにはせんから、案ずることはないぞ。
いつまでも伊賀南部環境衛生組合のことばっかゆってるわげにもいがね。
名張市立図書館被害者友の会のネタもかまさねばなんね。
それにしても、ご難つづきの伊賀南部環境衛生組合は、いぢどおはらいでもしでもらっだほがよぐねが?
伊賀南部クリーンセンターがある奥鹿野の近くの老川つーとこで、おらほの親戚が怪しげな神社やってるだども、そら神社はどごも怪しげだども、そごでよげればいぐらでも紹介しでやっぞ。
遠慮せずにゆうでご。
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