いやー、気分転換に戯文でもつづるとすっかあ、とかいってる場合じゃなくて、おととい、大橋鎮子さんの訃報が報じられました。
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毎日新聞 2013年04月01日 21時14分(最終更新 04月01日 22時34分)
暮らしの手帖社の大橋鎮子社主
戦後間もなく花森安治らと共に雑誌「暮しの手帖」を創刊した、「暮しの手帖社」社主の大橋鎮子(おおはし・しずこ)さんが3月23日、肺炎のため東京都内の自宅で死去した。93歳。葬儀は近親者で営んだ。同社主催で後日お別れの会を行う。喪主は妹の横山晴子(よこやま・はるこ)さん。
46年、女性の新しいファッションを提案したいと「衣裳(いしょう)研究所」を設立。48年、テーマを衣食住に広げた雑誌「美しい暮しの手帖」(後の「暮しの手帖」)を創刊し、社名も変更した。社長兼編集者として、花森編集長と名物企画「商品テスト」などを実施した。企業広告を載せず、消費者の側に立った内容で支持を集めた。56年菊池寛賞(花森と同誌編集部として)。著書に「すてきなあなたに」など。
そんな機会は訪れないだろうとは思っていたのですが、いつかお会いすることができたら、ひとことお詫びを申しあげたいとかねて思いつつ、とうとう機会を失ってしまうことになりました。
佐野眞一さんの『業界紙諸君!』に「『日本読書新聞』の“戦後総決算”」という一章があって、若き日の大橋さんが日本読書新聞に勤務したときのことが記されています。
同紙が創刊されて間もなく「何の気なしに」入社した大橋鎮子(暮しの手帖社社長)によれば、編集長の中をはじめとする編集スタッフは、昼間から酒を飲んでは卑猥な話に際限なく興じていた。大橋は入社一日目にして「エラいところへ入ってしまった」と急に目の前が暗くなったという。旬刊タブロイド判四ページの「日本読書新聞」は、こうしたいわばあぶれ者の集団によってつくられ、包装紙がわりの新聞としてスタートを切ったのである。
ここに出てくる「編集長の中」ってのが、私の亡父なわけです。
あぶれ者が昼間っから酒くらってすけべなこと口走ってんじゃねーよ。
どんならんやっちゃな。
家門の名折れじゃねーかこのすっとこどっこい。
とかいってみたってしかたないんですけど、もしも大橋鎮子さんにお目にかかる機会があったら、ひとことお詫びを申しあげたいと長く念じてはいたのですが、それも詮ないこととはなりました。
ここに謹んでご冥福をお祈りする次第です。
さて、それじゃ気分転換に戯文でもつづることにすっかあ、とは思ってみたものの、よく考えたらここ最近、実話読みもので煮詰まったらちょこちょこ漫才書いて気分転換してますから、プログで気分転換する必要もないわけです。
ちなみに先日来、少しずつ少しずつごらんいただいている漫才は、また二ページだけ書き継いで全十三ページとなりました。
このぶんでは震災がれき受け入れ問題だけで軽く二十ページを突破しそうな勢いなんですけど、まだあとには伊賀の蔵びらきやまちなか再生といったテーマが控えており、そのあとでようやく「伊賀百筆」編集部からご慫慂をいただいた名張市の江戸川乱歩騒動というテーマにたどりつくことになるわけですから、いったいいつになるんだかさっぱりわからず、しかたありませんから震災がれき受け入れ問題で予定していた伊賀青年会議所をおちょくりまくるくだりは全面カット、ということにしてしまうか、とかほんと、悩みが絶えないから困ってしまいます。
とりあえず、できてるとこまでごらんいただきましょうか。
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それでは、大橋鎮子さんのご冥福をあらためて心からお祈り申しあげつつ。
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