予想外の伸びです。
一夜明けたら、なんと四スレ目。
▼ニュース速報+:【社会】 女子中学生、授業中に携帯電話さわり先生に注意されるも無視→授業終了後、先生が平手で頭叩く→問題に…三重★4(2013年2月15日)
現今の日本社会におけるかなり普遍的な問題をはらんだ事案である、ということでしょうか。
まったくかなわんね。
さてそれで、あのねおっさん、ある座談会で乱歩が「まったくかなわんね」と、あのねおっさん、まるで高勢実乗みたいな本音を吐露していた、というところできのうはおしまいになりましたが、そんなこんなで、乱歩の対談や座談会のたぐいを調査して体系化することが重要な作業であることはいうまでもありません。
とくに、きのうも記しましたけど、雑誌や新聞に掲載されただけで本にはならない、というのが圧倒的に多いわけです。
むろん、ごくまれに、なにかの拍子に、ひょっこり本になる、という例もないではなく、つらつら思い返してみますに、たとえば最近ではこんなところでしょうか。
手つかずのままほったらかしておいたものを尻ぬぐいする、ということのほかに、昔はちょっと考えが足りなかった、というケースもあって、それを改めるのも尻ぬぐいの一環です。
たとえば、以前にも悩んだことがあるのですが、「E氏との一夕」をいったいどうすべきか。
これは稲垣足穂の作品ですが、もとになったのは足穂と乱歩の対談です。
対談ですから、名張市立図書館の三冊の目録の守備範囲外、ということになります。
ただし、この対談におまけでついてた乱歩の「同性愛文献虎の巻」は守備範囲内であって、しかしこの文章はちょっとややこしい変遷をたどることになり、そういった変遷も三冊の目録ではたどりつらい。
それと、そもそもこの対談のタイトル、これまでは「そのみちを語る 同性愛の」としていたのですが、これも改めることにいたしました。
足穂の書誌なんかでも「そのみちを語る 同性愛の」とするのが一般的なんですけど、対談が掲載された誌面をよくみてみると、見開きの右のページには「そのみちを語る」と横で、それから「同性愛の」と縦で見出しが立てられ、左のページには「理想と現実」という縦見出しがありますので、タイトルは「そのみちを語る」、サブタイトルが「同性愛の理想と現実」とすべきかと判断いたしました。
さてそれで、「そのみちを語る」をもとにした「E氏との一夕」ですが、これは足穂作品だから、ということで乱歩の著書目録の対象外としたのですが、内容は足穂と乱歩の対談ですから、やはり収録を跡づけておくべきかと結論した次第です。
そうすると、かなりややこしいことになって、いったいどうややこしいのか、現物をごらんいただきたいと思います。
さすがその道を語らせたら半端ない「薔薇族」、ちゃんと「同性愛の理想と現実」というサブタイトルを採用しています、みたいなことはいいとして、対談「そのみちを語る」と足穂作品「E氏との一夕」双方の収録を跡づけなければならない、ということになります。
ついでですから、「同性愛文献虎の巻」のほうもお目にかけましょう。
なんだかひたすらややこしい。
しかしまあ、こういう作業をしっかりこつこつやることで、市民生活にはなんの関係もなく、市民からまるで必要とされていない乱歩関連資料の収集が、じつはきわめて有意義で乱歩関係者から望まれている事業であり、回りまわって名張市という自治体に裨益するところもおおいに大である、ということは、おわかりいただけるかたにはいちいち説明するまでもなくおわかりいただけるはずなんですけど、おわかりいただけないみなさんにはやっぱおわかりいただけないのかもしれません。
度しがたいなまったく。
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