おかげさまで、日に日に、本復に近づいております。
しかし、寒い。
とくに、朝夕の散歩が寒い。
とにかく寒いのがいけない、ってんで、ユニクロ名張店で買ってきたももひき、愛用しております。
まあ温かいこと温かいこと。
そういえば、今年いただいた賀状のなかに、
──脱いでも脱いでもユニクロ
という山頭火ふうの俳句が記されたものがあって、とある温泉に宿泊したとき、温かい湯につかるべく脱衣したおりに浮かんだ句なんだそうですが、いや笑った笑った。
しかし、みずからを顧みれば、われもまた、脱いでも脱いでもユニクロなり。
ユニクロでわるいか。
ところで、かなりふだんの調子に近い状態で迎えたきょうの朝、安岡章太郎さん死去のウェブニュースに接しました。
九十二歳、老衰、自宅で死去、とのことですから、功成り名遂げての大往生をことほぐべきかと思われます。
感慨はいろいろありますけれど、当ブログ的に乱歩のことを話題にしておきますと、安岡さんのエッセイで乱歩の名が出てくるのはただ一篇、つまり私にはただ一篇しか思い浮かばないということですが、すなわち換言すれば、忘れているものがあるかもしんない、ということでもあるわけですが、1992年に発表された「日本近代文学館と私」があるだけではないでしょうか。
新潮文庫『歴史への感情旅行』に収録されていますが、乱歩の名前はこんな感じで登場します。
だいたい私は、図書館というものが好きでない。中学生時代に一と頃、友人に誘われて九段下の大橋図書館にかよったが、それはもっぱら江戸川乱歩を読むためであって、他の本には関心がなかった。
中学時代というと、「悪い仲間」の少し前の時代、安岡さんが乱歩を愛読していたことは、このエッセイを読むまでまったく知りませんでした。
戦前の乱歩作品は、世の劣等生にとって逃避的読書にうってつけだった、ということなのか、北杜夫「楡家の人びと」の終幕にも、乱歩とは名指しされていませんけど、図書館に通って「低級な探偵小説」を読みふける浪人生の姿が描かれていましたっけ。
ウェブニュースといえば、読売新聞のウェブニュースに『赤き死の假面』がとりあげられました。
この二本、中身はおんなじです。
見出しもおんなじですけど。
▼YOMIURI ONLINE:乱歩訳ポー作品、初の書籍化…「赤き死の假面」(2013年1月27日)
▼YOMIURI ONLINE:乱歩訳ポー作品、初の書籍化…「赤き死の假面」(2013年1月28日)
ウェブではなく読売の本紙では1月26日付夕刊に、もっとくわしい記事が掲載されたらしいのですが、東京本社版だけだったのかどうか、よくわかりません。
当地は夕刊がないエリアですので、26日夕刊の記事は27日朝の統合版に掲載されているかと調べてみたのですが、どこにもみあたりませんでした。
本紙の記事には私のコメントも出ているそうで、なんだかなあ。
記者のかたからお電話をいただいて、動転しつつお尋ねにお答えしたのですが、なんか全然うまくしゃべれてねーじゃんおれ、と自分でもびっくりするくらいしどろもどろで、いやー、なんだかなあ。
なんか、なにしゃべったんだか、よく思い出せないないんですけど、とにかく、おそまつなコメントしかできなかったはずですから、ただただこっ恥ずかしくって、ほんと、なんだかなあ。
きょうはもう、これくらいにしときます。
しっかしなあ。
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