またしても、まずお知らせ。
コンサートのお知らせです。
詳細はこちらでどうぞ。
▼伊賀市文化都市協会:伊賀びと奏でコンサート アフタヌーン・ジャズ 風呂矢早織ピアノトリオコンサート
昨夜、名張市のおとなり、伊賀市内某所で催された新年会に顔を出しましたところ、この風呂矢早織さんによるピアノの生演奏が盛りこまれている豪華版でした。
しかも私、3月17日のコンサートのペア入場券、賞品としてゲットしてしまいました。
なんの賞品かというと、さすが芭蕉のお膝もと、生演奏のほかに句会も盛りこまれ、ひとり一句を投句して、俳人の先生に選考していただくという趣向。
私は、短冊の表に、
「けんみんに○○○○○○○おしつける」
と書き、裏に、
「すずきえーけー」
と署名して提出したのですが、披講にさいしてこれがそこそこ受けたそうです。
というのも、この作品が披講されたとき、私はトイレに行っており、それがまた会場となった店のなかではなく、いったん外に出なければならぬトイレとあって、拍手も笑い声もまったく聞こえなかったのですが、なにしろ受けたものですから賞品をゲットする仕儀とはなりました。
ところで、鈴木えーけーさんといえば、例の震災がれきの問題、奇しくもきのう、こんなことになってしまいました。
いやなんとも残念な。
すべてのわるだくみとわるあがきが、むなしく水泡に帰してしまいましたがな。
「けんみんにしんさいがれきおしつける」
とはまいらなかったわけですから、われらがぽてちん知事さん、痛恨の極み、といったところか。
そういえば、きのうの新年会の自己紹介タイムで、
「こんばんはッ。三重県知事の鈴木えーけーでございますッ」
と挨拶したら、これもそこそこ受けたんですけど、その時点では知事さんの傷心をいまだ知りませんでしたから、いまになって、ちょっとわるいことしちゃったかな、と反省しているところです。
それはそれとして、きのうのつづき、明治45年7月1日に発行された「中央少年」第二巻第四号の件ですが、乱歩は第二巻第一号からひきつづいて「笹舟」という筆名を使用し、「凸凹の鉢合せ」という漫画、目次によれば「ポンチ」を発表しています。
これは乱歩の手になる作品とみていいのですが、この号には「平井古龍」という作者による「テイテツ」という作品、目次によれば「オ伽話」も掲載されていて、この平井姓の作者はいったいだれなのか。
文章やストーリーの幼さから判断すると、乱歩の弟の通であったのではないかと思われます。
少なくとも、第二巻第一号に掲載された「怒濤」「かなしき思出」の二篇と同じ作者が書いたとは思えません。
係助詞「は」のつかいかたさえあやしくて、「とても上へわあがれませぬ」などと書いてあります。
乱歩はこの年3月に愛知県立第五中学を卒業していますから、「は」と「わ」のつかいわけができないわけがなく、だとすれば平井古龍は弟の筆名だろうということになります。
乱歩にはふたり、弟があって、明治27年生まれの乱歩の下に、33年生まれの通、さらにその下に、36年生まれの敏男がいました。
『貼雑年譜』には、「中央少年」の発行には「私ノ弟」も携わっていたとあるのですが、敏男は後年、鮎川哲也のインタビューに答えて、「兄が探偵小説の雑誌をつくりまして、わたしは電柱にポスターを貼る役目でした」と回想しています。
いっぽう通は、富岡多恵子さんの『壺中庵異聞』によれば──
小学生のころ、こんにゃく版といわれる寒天を使った複写の版式で、子供らしい本をつくって仲間に配って以来、自家出版造本の欲望は周期的にめぐってきた。
ですから明治45年、満十一歳の通が短いお伽話を書き、それを平井古龍名義で「中央少年」に発表したのではないか、と考えられます。
それに、古龍という筆名のセンスは、あまり乱歩らしくないように思われますし。
そんなこんなで、「中央少年」第二巻第四号からは、「凸凹の鉢合せ」だけをデータベースに拾った次第です。
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