Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2010.11.07,Sun
〔*16〕
「二重面相」江戸川乱歩
横溝正史
乱歩はおそろしく戦闘的になり強引になり、権柄ずくになり、昔から人を引っ張っていく力を持っていた人物なのだが、その引っ張りかたに以前のような当りの柔かさが欠け、強引一方になっていたらしい。ここに、らしいと書いたのは幸か不幸か、その当時、乱歩と私は遠く東京と岡山とに離れていて、接触する機会がほとんどなかったからである。たった一度持った接触の機会が、乱歩の岡山訪問なのだが、そして、それ故にこそ水谷準や故海野十三が、私の戸惑いや失望をおそれてあらかじめ警告を発してくれたのだが……。
では、疎開先で食糧にもこと欠かず、部落の人たちからも大事にされ、戦後のあの苛烈な時代をいたってノンビリ・ムードで暮していた私の眼に乱歩はどういうふうに映ったか……。
最初、西田政治を伴ってトヨタ差廻しのトヨペットを、岡山県吉備郡岡田村字桜なる私の疎開先へ乗りつけてきたその瞬間の乱歩は、たしかに変ったかなというような印象を私に与えた。西田政治をまるで秘書かなんぞのごとく扱って、恬として憚らぬ高飛車な態度は昔の乱歩にはなかったものである。トヨペットの運転手に、向うから頼まれもせぬのになにか書いてあたえようという強引さも、かつての乱歩には見られなかった図であった。しかし、それもいっときのことであった。席が落ち着いて一時間も話しこんでいるうちに、強引のメッキは剝げ、高飛車の付焼刃もどこへやら、いつか昔の乱歩にかえっていた。
だから、三晩うちへ泊って西田政治とともに乱歩が東へ去っていったあと、わたしは故海野十三と水谷準とに手紙を書いたのを憶えている。ご注意ありがとう。乱歩がやってきたときにはたしかにこれはと思った。しかし、三晩泊って岡田を離れていったときには、やっぱり昔の乱歩さんでありました……と。
では、岡田の乱歩はなぜそうだったのか。この秘密はいまとなっては容易に解けそうである。戦後の乱歩を変ったと指摘した東京の探偵作家たち自身が、やっぱり戦前と多少なりとも変っていたのではあるまいか。戦争末期から戦後へかけて東京に住んでいて、大なり小なり人間が変らなかったといえば嘘であるように思える。そこへいくと岡田村字桜で食糧にもことかかず、いたってノンビリと小説を書いていた私は、人間が変る必要がなかったのである。
「オール讀物」昭和40年10月号
横溝正史『探偵小説五十年』講談社オンデマンドブックス(2005年12月)
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