年末進行の合間を縫って、気分転換にちょいとひとくさり。
「生半可ならやめるべき」と三重県知事の鈴木英敬さんが滋賀県知事の嘉田由紀子さん率いる未来政治塾とやらで講演なさったそうです。
▼伊勢新聞:未来政治塾 「生半可ならやめるべき」 政治家目指す塾生に知事(2012年12月23日)
「生半可な気持ちで政治家を目指すならやめた方がいい。他人の人生を左右してしまう。風で通った人は風で沈む」
「重要なことは、選挙に出る大義と、お前のためなら本当に死んでいいという仲間を十人集めること」
うーむ。
知事さんのおっしゃるとおりですなあ。
私もほんと、こういいたい。
なまはんかな気持ちで乱歩関連資料の収集をめざすなら、やめたほうがいい。
尻ぬぐいする人間の人生を左右してしまう。
あたいなんかもう、左右されまくりの尻ぬぐい人生だもんね。
要するに、大義の問題だ大義の。
乱歩関連資料の収集に大義はあるのか大義は。
ないだろうなあ。
ただの思いつきだもんなあ。
大義もなければ意義もなく、方針もなければ目的もない。
ほんと、そんなことならやめたほうがいい。
うわっつらだけとりつくろうのは、もういい加減にしておこう。
乱歩関連資料を収集してまーす、とかいってみたって、そんなものを必要としている人間は、名張市内にはひとりも存在していない。
これは私には、経験と実感にもとづいてきっぱり断言できることです。
乱歩関連資料を必要としている名張市民なんて、まったくのゼロである。
むろん、乱歩作品を読みたい、という市民は存在しているはずですけど、そうしたニーズには開架に並んだ乱歩全集でじゅうぶんお応えできるはずです。
たとえば「二銭銅貨」が読みたいという市民のためには、「二銭銅貨」が収録された本が一冊あれば、ことは足りるわけです。
だというのに、乱歩関連資料と称して、「二銭銅貨」が収録された本をいっぱい買い込んで、ただ飾ってるだけ、みたいなことをする必要があるのかどうか。
必要としてる市民がひとりもいないのに、どうして市民の税金で乱歩関連資料なんか収集してるの? と尋ねられても、名張市立図書館にはなにも答えられない。
ほんとうにな、ほんとうに、なーんにも答えられないんだぞ。
そんなことならやめてしまえよ、といわれても、名張市立図書館にはやっぱり、なにも答えられない。
はい、やめます、ということはできない。
絶対にいわない。
むろん、乱歩関連資料の収集を正当化することはいくらでも可能なんですけど、そのためにはあくまでも、収集した資料を活用することが前提になります。
しかし、名張市立図書館には、そんなことはとてもできない。
収集した資料は、ただ死蔵しつづけるだけ。
寄贈図書もまた同様で、寄贈者の好意を平気で踏みにじる。
なまはんかなことはやめたほうがいい、と三重県の知事さんがおっしゃるとおりなんですけど、名張市立図書館には、なにも考えられず、なにも決められず、なにも答えられない。
となると、いったいどうすりゃいいんだろうなあ。
さ、年末進行年末進行。
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