Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2010.11.04,Thu
〔*14〕
小説世界のロビンソン
小林信彦
第八章 〈探偵小説〉から〈推理小説〉 へ
それから二十八年後の一九七五年に、ぼくは横溝氏と長い対談をおこなったが、当然、この批評の話が出た。氏は、こう語っている。
「乱歩(は)、あれ(を)発表する前に送ってくれましたよ、原稿を。『こういうものを書くんだが』って。もう、ぼくは異議はないわね」
活字になったものでは、このあとの一行が削られていた。それは、次のようなものであった。──ぼくは、短刀を送りつけられたように感じて、ぞっとしたよ。
この意味を理解するには、若干の予備知識を要する。
大阪薬専を卒業して神戸の薬局の若主人役をつとめていた横溝正史を東京に呼び、森下雨村にすすめて、当時の大出版社である博文館に入れたのは、江戸川乱歩である。大正十五年の話だ。乱歩・正史のあいだに、兄・弟的な感情があったといっても見当ちがいではあるまい。
翌昭和二年、「新青年」編集長になった横溝正史はアメリカ的モダニズムを誌面にとり入れる。のちの作風によって誤解されているが、横溝正史はかけ値なしのネアカ人間であった。一方、かけ値なしのネクラ人間である乱歩は「新青年」にモダニズム、ナンセンスが入るのを好まなかった。
ネクラの兄とネアカの弟が、人嫌いの作家と気鋭の編集者になれば、ネクラの兄はいよいよ屈折してゆくはずで、しかし、この心理劇は、横溝正史の結核発病によって、とりあえずの幕がおりた。
敗戦と同時に、乱歩は、探偵小説の理論家として、指導的立場に立ち、新風を求める。ところが、(乱歩理論の)実作第一号として登場したのは、ほかならぬ横溝正史だったのである。そして、第二幕の主役は、衆目のみるところ、横溝正史であり、乱歩には実作がなかった。その乱歩が、横溝作品を認めることの苦痛と喜びが、乱歩の性格を知り尽している正史にわからぬはずがない。短刀を送りつけられたように感じて、ぞっとした、という言葉には実感があった。
「波」昭和59年1月号〜62年12月号
小林信彦『小説世界のロビンソン』新潮社(1989年3月)
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